“氷姿雪魄”に背のびする……しろねこの日記

仕事の傍ら漢検1級に臨むうち、言葉の向こう側に見える様々な世界に思いを馳せるようになった日々を、徒然なるままに綴る日記。

徒然草136段 検定明けに見かけて、何故か元気が出たお話。

2014-02-09 18:35:16 | 日記
今晩は。
検定明けは凄い寒さでしたが、
昨日からは凄い雪です。

昨日の昼間から、重みをもった細かい雪が、確実に地面を埋めていきました。雪の威力は凄まじいです。
関東圏でも、大分不便な思いをされている方も多くいらっしゃるようですね。

昨夜は勤務地から帰ろうとしたところ、新幹線が止まってしまっていて、50分程度足止めを食らっていました。
遅延時刻が10分ずつ延びていて、自宅までのバスがある時刻までに帰れるか心配でしたが、
JRの皆さんのご尽力に感謝いたします。

因みにいつもは勤務地では根雪になっても、居住地ではアスファルトが見えるのですが、今日は同じだけ積もって踏み固められているので驚きました。

今日の通勤バスは、雪で走ってくる音は消えているので近づいてくるまで分かりにくいし、乗っている最中は嵩高い雪道のせいで、いつになく車体の大きな揺れを感じました。

この一両日、何度か乗り場で足止めをくらったお陰で、ここ数日出したかった記事を整える時間ができました。

先日の検定では、とにかく何故かこれまでにないくらいひどく落ち込んでしまい(考えてみると、これまでも数知れず不合格だったのに、おかしなことです。すこしは私の鈍感な向上心にも、何かが芽生えてきたということでしょうか)、
近く届くであろう標準解答も憂鬱な気持ちで見なくてはなりませんが、
やはり一晩が明け、月曜日からまた生徒と接して新しい仕事をこなしていくうちに、気も紛れて、
力強くではないですが、
うん、やっていける、やっていこう。
という気持ちになっていました。

それでなくとも、漢検直後というのは、蓄積してきた漢検モードを一気に解放し、遊び心がいろいろ興ってくるので、
本来ならばブログ記事の更新も面白くあれこれ出せる時期なのです。

しかし、忙しさは相変わらずなうえ、明日はいよいよ、震災で全壊した校舎の跡地に新築した、新校舎の職員室への引っ越しがあります(最悪だった風邪は、かなり回復し、咳を残すだけです)。
これまで各校舎にばらばらだった中高の先生方が、みんな一緒になるのです。

ここ数日は、段ボールとの格闘の日々でした。
実は今日も数時間出勤し、荷物を箱詰めしてきました。
移動は明日の昼からなので、あとは午前中の授業の空き時間でなんとかなりそうです。


さて、検定明けすぐ、生徒の模試の過去問を解いたのを添削していると、
中2古典の問題に、徒然草136段が載っていました。
中学生には多少難しいかもしれませんが(しかし現代語訳つきです)、内容は以下のとおりです。


医師の篤成(あつしげ)という人が、後宇多法皇の元に運ばれてきたお召し上がりものの品々について、何でも本草書にあるとおりにそらで説明できるといったのを、六条故内府が、食品の基礎ともいえる「しお」の漢字の教養をネタにやりこめるお話です。


【原文:古文】
医師篤成(くすし・あつしげ)、故法皇の御前に候ひて、供御(ぐご)の参りけるに、「今参り侍る供物の色々を、文字も功能も尋ね下されて、そらに申し侍らば、本草に御覧じ合はせられ侍れかし。一つも申し誤り侍らじ」と申しける時しも、六条故内府参り給ひて、「有房(ありふさ)、ついでに物習ひ侍らん」とて、「先づ、『しほ』という文字は、いずれの偏にか侍らん」と問はれたりけるに、「土偏に候ふ」と申したりければ、「才の程、既にあらはれにたり。今はさばかりにて候へ。ゆかしき所なし」と申されけるに、どよみに成りて、罷り出でにけり。


【現代語訳】
医師の篤成が、生前の後宇多法皇にお仕えしていて、法皇の御前にお召し上がりものが運ばれてきた時に、「いま参りますお召し上がりものの品々について、名称でも効能でも何でもお尋ねくださって、そらでお答えしましたならば、(後で)(医学書の)『本草書』をご参照くださいませ。私のお答えすることに一つも間違いはございますまい」と申し上げた。まさにそのときに内大臣の源有房が参上なさって、「この有房も、ついでに(篤成殿に)ものを教わるとしましょう』と申し上げなさって、「まず、『しお』という文字は、何の偏でしょうか」と尋ねなさると、『土偏にございます』と(篤成が)申し上げたので、(有房は)『(おぬしの)才知の程は既に明らかになってしまった。今はもうそのくらいにしておきなさい。知りたい事はもうない』と申し上げなさったところ、(周囲の人々も)どっと笑い出して、(篤成は)たまらずにその場を退出してしまった。


これは、「鹽」と「塩」の双方を視野に入れての話ができなかった医師篤成の学識の浅さを、有房がこきおろし、周囲の皆もそれに加勢してわらったので、篤成はその場から逃げ出してしまった、というお話です。篤成は、法皇の前で自分が博識だとアピールしようとしたのに、折悪しく有房にやられてしまいました。

私は検定の翌日、課題採点のために机に顎を乗せてこの話を読んでいましたが、
「鹽」と「塩」という2つの字面を見て、何だか心に陽光が射したというか、幸せな気持ちがしました。
そして、また頑張ろうという気になれました。

多分、普段私が漢字の勉強を殊更にしていなければ、世間によくある排斥の物語として読み流したのでしょうが、
今回改めて、このような漢字の知識教養というもので人一人がやり込められてしまう世界を垣間見て、何となく痛快な気持ちになったのでした。
漢字はやっぱり凄いし、面白いなあと。

だいたい、言葉は、大雑把に眺めれば大して違いの無いある対象を、厳密に区別するために、
一対象:複数の漢字
があるのですから、本当に見ていて飽きません。
漢字を勉強すればするほど、世界への認識も細分化し、かつ明確になっていく面が大きいと感じます。


そんなわけで、火曜日もまた祭日があるので、明日はまず引っ越しを頑張って、梱包した段ボールの中身を整理しつつ、追いかけてくる数々の仕事を迎え撃ちながら、漢字とのお付き合いの段取りをも整えていきたいと思います。