一、長春
二、長白山北線
三、長白山西線
四、五女山
7月1日(日)午前は世界文化遺産「五女山城」観光です。五女山は遼寧省桓仁満族自治県桓仁鎮(県城)の北約8kmに位置する海抜804mの山です。五女山に築かれたのが五女山城です。漢元帝建昭2年(紀元前37年)、北扶余王子朱蒙がこの地に逃れて、五女山上に高句麗国の都城として築いたのが五女山城です。この当時は迄升骨城と称していました。五女山城は南北長約1500m・南北長3~500mの不規則な楔形をしており、山頂部の内城と山麓部の外城からなっています。西暦3年に高句麗国2代琉璃明王が現在の集安に都城を移転しました。2004年7月、五女山城は「高句麗王城、王陵及貴族墓葬」の一つとして世界文化遺産に登録されました。
写真1は、朝ホテルから撮った五女山全景です。
五女山景区游客中心には五女山博物館があり、五女山城遺址発掘遺物や周辺遺跡の発掘遺物が展示されています。その中から五女山城遺址発掘遺物を幾つかご覧に入れます。写真2は、鉄双孔斧等の鉄器類です。
写真3は、鉄脚鐐です。
写真4は、上部の印章中、中央が「経略司之印」、右が「安撫使之印」が五女山城遺址発掘遺物です。
景区内バスで西門服務点に行きました。写真5は、ここにある世界文化遺産「五女山城」石碑です。
写真6は、登り口にある「十八盤」石碑です。西門服務点から登りは本来十八曲りなので、この名があります。写真の直行する階段道は新しい道で、本来の十八盤は石碑右からで、全長938mです。この新しい階段道は四百段余あります。10時30分前に上り始め、50分過ぎに上(西門址)に着きました。
写真7は、二号大型建築遺址です。長20・幅9.5m、東西に3列の礎石(列に10個)があります。崖下には黄土台が設置されています。
写真8は、同じく二号大型建築遺址です。ご覧のように本遺址の主要遺址には木製の見学台が設けられています。
写真9は、哨所遺址です。本城には何か所も哨所が設置されています。
写真10は、本城の南東角にある点将台です。
写真11は、点将台か見下ろした桓龍湖(人造湖)です。
写真12も、桓龍湖です。
写真13は、居住建築群遺址です。20余りの半地下穴式住居址です。兵舎と推測されています。
写真14は、三号大型建築遺址です。長22・幅16mの長方形で、東面が土積で、南・西・北面が石積です。
写真15は、一号大型建築遺址です。長13.5・幅22mの長方形で、7個の礎石(6個の礎石が保存され、1つには柱穴があります)の6間建物で、王宮と推測されています。
最後の写真16は、西門服務点の外、道路から見た五女山です。12時40分過ぎでした。
なお、フォト・アルバム「五女山」はhttps://1drv.ms/u/s!AruGzfkJTqxng5khYUbqEnSCTzfspA?e=pjjKOdです。
(2019.07.15)