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歴史と中国

成都市の西南交通大学で教鞭をとっていましたが、帰国。四川省(成都市)を中心に中国紹介記事及び日本歴史関係記事を載せます。

五女山―中国雑感〔51〕―

2019年07月15日 18時09分58秒 | 観光(中国)

一、長春

二、長白山北線

三、長白山西線

四、五女山

 

7月1日(日)午前は世界文化遺産「五女山城」観光です。五女山は遼寧省桓仁満族自治県桓仁鎮(県城)の北約8kmに位置する海抜804mの山です。五女山に築かれたのが五女山城です。漢元帝建昭2年(紀元前37年)、北扶余王子朱蒙がこの地に逃れて、五女山上に高句麗国の都城として築いたのが五女山城です。この当時は迄升骨城と称していました。五女山城は南北長約1500m・南北長3~500mの不規則な楔形をしており、山頂部の内城と山麓部の外城からなっています。西暦3年に高句麗国2代琉璃明王が現在の集安に都城を移転しました。2004年7月、五女山城は「高句麗王城、王陵及貴族墓葬」の一つとして世界文化遺産に登録されました。

写真1は、朝ホテルから撮った五女山全景です。

五女山景区游客中心には五女山博物館があり、五女山城遺址発掘遺物や周辺遺跡の発掘遺物が展示されています。その中から五女山城遺址発掘遺物を幾つかご覧に入れます。写真2は、鉄双孔斧等の鉄器類です。

写真3は、鉄脚鐐です。

写真4は、上部の印章中、中央が「経略司之印」、右が「安撫使之印」が五女山城遺址発掘遺物です。

景区内バスで西門服務点に行きました。写真5は、ここにある世界文化遺産「五女山城」石碑です。

写真6は、登り口にある「十八盤」石碑です。西門服務点から登りは本来十八曲りなので、この名があります。写真の直行する階段道は新しい道で、本来の十八盤は石碑右からで、全長938mです。この新しい階段道は四百段余あります。10時30分前に上り始め、50分過ぎに上(西門址)に着きました。

写真7は、二号大型建築遺址です。長20・幅9.5m、東西に3列の礎石(列に10個)があります。崖下には黄土台が設置されています。

写真8は、同じく二号大型建築遺址です。ご覧のように本遺址の主要遺址には木製の見学台が設けられています。

写真9は、哨所遺址です。本城には何か所も哨所が設置されています。

写真10は、本城の南東角にある点将台です。

写真11は、点将台か見下ろした桓龍湖(人造湖)です。

写真12も、桓龍湖です。

写真13は、居住建築群遺址です。20余りの半地下穴式住居址です。兵舎と推測されています。

写真14は、三号大型建築遺址です。長22・幅16mの長方形で、東面が土積で、南・西・北面が石積です。

写真15は、一号大型建築遺址です。長13.5・幅22mの長方形で、7個の礎石(6個の礎石が保存され、1つには柱穴があります)の6間建物で、王宮と推測されています。

最後の写真16は、西門服務点の外、道路から見た五女山です。12時40分過ぎでした。

なお、フォト・アルバム「五女山」はhttps://1drv.ms/u/s!AruGzfkJTqxng5khYUbqEnSCTzfspA?e=pjjKOdです。

(2019.07.15)


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長白山西線―中国雑感〔50〕―

2019年07月12日 16時31分21秒 | 観光(中国)

 

一、長春

 

二、長白山北線

 

三、長白山西線

 

四、五女山


30日(日)は長白山西線観光です。景区内バスを降り、1440段余の階段を上り西線観景台に向かいます。50分余をかけて12時40分に観景台に着きました。「登頂成功 我真棒!」「海抜2470米」と記した大きな表示板があります。

 

写真1は、観景台に上がったところにある中朝国境を示す5号定界碑(実際の国境は観景台の少し南)です。2009年との表示が下にあります。

写真2は、観台からの天池です。本日も霧のため景観を得られません。それでも中国人観光客はご覧のように記念写真を撮っています。

写真3は、下る途上で景区内バス終点を見下ろして撮ったものです。登山道は登りと下りとに分れていますが。

バイキングの昼食を済ませ、錦江大峡谷に移動します。錦江大峡谷は火山大爆発の火砕流・噴石・火山灰等の堆積物が流水で浸食されて、幅約2~300m・深さ約80~100mの峡谷となったもので、全長約70kmです。この一部に周回路が設置されて観光出来るようになっています。14時35分過ぎに入口から周回路を約50分歩きました。森林として各種の針葉樹・落葉樹の混合林です。秋には紅葉します。写真4は、その一つの臭冷杉(白松)です。

写真5は、大峡谷が見えるところに出て、少し行き撮ったものです。

写真6は、さらに行き、峡谷の支流が割込んでいるところを撮ったものです。

写真7は、吊橋を過ぎ、さらに行ったところで撮ったものです。

写真8は、さらに進んだところで撮ったもので、下の渓流をも写し込みました。

最後の写真9は、峡谷を離れ、森林の中の紅松王を撮ったものです.ここで15時7分でした。

なお、フォト・アルバム「吉林・長白山」はhttps://1drv.ms/u/s!AruGzfkJTqxng5ArTpWROqjBtcGLiQ?e=wIUhjfです。

(2019.07.12)

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長白山北線―中国雑感〔49〕―

2019年07月09日 20時11分29秒 | 観光(中国)

一、長春

二、長白山北線

三、長白山西線

四、五女山

 

29日(土)は終日長白山北線観光です。長白山(朝鮮名白頭山)は中華人民共和国と朝鮮民主主義共和国の国境線上に位置します。天池はカルデラ湖で天池を囲んで16峰があり、南側の2749mの白頭峰(朝鮮領内)が最高峰です。

まず天池を目指します。景区内専用バスを降り、数分の登りで北線の天池景観台に至ります。写真1は、その途上での上る人々です。残念ながら、ご覧のように雨模様で、人々は雨支度で、雨と霧で視界が開けません。

写真2は、10時50分頃天池景観台での天池を見下ろして撮ったものですが、完全に霧で覆われて全く見ることが出来ません。天池は水面標高2194m・面積10㎢・最大水深370mで、松花江・図們江・鴨緑江の水源です。

天池から下り、次の長白瀑布を目指します。瀑布の下流に位置するのが聚龍泉です。70度以上の47か所の源泉口を有する温泉です。写真3が、それです。

写真4は、長白瀑布(落差68m)の遠全景です。本滝は二道白河を経て松花江の本源となります。12時15分過ぎです。ここからは少し青空がのぞく天気となりました。

写真5は、長白瀑布全景です。中望遠で撮りました。

写真6は、望遠で撮った滝の落口です。

写真7は、同じく望遠で撮った滝壺です。

長白瀑布観光を終り、早めのバイキングの昼食を取り、次は下流の緑淵潭です。写真8が、それでご覧のように奥に3条の滝があります。14時前の撮影です。

 

写真9は、左側の落口です。

次いで銀環湖(小天池)へと徒歩移動です。小天池は南北40m・東西30m・周回り260m・面積5000㎡・水深10余mです。写真10は、小天池の右側です。湖面に木々が映り込みます。14時20分頃です。

写真11は、湖の中央部で、対岸の石を捉えて撮りました。

写真12は、雲間から姿を見せた長白山の峰峰です。14時35分でした。

最後の写真13は、本日最後の観光場所、地下森林です。ここで再び雨模様となり、帰りは雷雨となりました。15時25分の撮影です。

なお、フォト・アルバム「吉林・長白山」はhttps://1drv.ms/u/s!AruGzfkJTqxng5ArTpWROqjBtcGLiQ?e=wIUhjfです。

(2019.07.09)

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長春―中国雑感〔48〕―

2019年07月04日 14時35分51秒 | 観光(中国)

一、長春

二、長白山北線

三、長白山西線

四、五女山

 

クラブツーリズム主催「色彩豊かな長白山と世界遺産五女山城6日間」(2019年6月27日〔木〕~7月2日〔火〕)中国に行ってきました。本ツァーの基本旅程は、

27日(木)午後成田発瀋陽着(南方航空) 夜瀋陽発長春着(高速電車) 長春泊

28日(金)午前長春観光(八大部・杏花沌公園・牡丹園) 午後長白山へ 長白山泊

29日(土)終日長白山北線観光(天池・長白山瀑布・緑淵潭・小天池・地下森林) 長白山泊

30日(日)午前長白山西線観光(天池・錦江大峡谷) 午後桓仁へ 桓仁泊

1日(月)午前五女山城観光 午後瀋陽へ 瀋陽泊

2日(火)朝瀋陽発成田着(南方航空)

です。

最初の観光地は吉林省省都長春市観光です。長春市は旧満州帝国首都であったので、この関係が観光主体です。

まず、旧満州国関係の建築物です。八大部(軍事・司法・経済・交通・興農・文教・外交・民生部)の多くは南北に通じる新民主大街に並んでいます。写真1は、部(省)を統轄する行政府である国務院旧址(朝陽区新民主大街126号)で、大街の一番北右側に位置しています。1936年に完成しました。現在は東北地方の名門校吉林大学白求恩医学院となっています。

写真2は、医学院(医学部)の冠名となっている白求恩立像です。亨利·諾爾曼·白求恩とはカナダ人のHenry Norman Bethune(1890年3月3日~1939年11月12日)の漢字名です。ノーマン・ベチューンはカナダ共産党員として1938年に香港から延安入りをして、八路軍医師として活動中に死去しました。

写真3は、大街の北端の文化広場の奥に立つ旧宮殿旧址(朝陽区西民主大路928号)を車上より撮ったものです。本宮殿は1938年に起工し、1943年に建設中止となり未完でしたが、中華人民共和国成立後の1956年に完工しました。現在は吉林大学地質宮博物館です。

写真4は、中国共産党結成98周年(1921年7月1日)により杏花沌公園で演舞をしている市民達です。いくつもの組が代わる代わる演じていました。本公園はその名の通り杏の木が多く植えられています。

写真5は、牡丹園内にある旧日本神武殿旧址(朝陽区立信街6号)です。本殿は武道場として1940年に完工しました。

最後の写真6は、牡丹園の牡丹オブジェです。本公園はその名の通り牡丹の苑です。

(2019.07.04)

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