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歴史と中国

成都市の西南交通大学で教鞭をとっていましたが、帰国。四川省(成都市)を中心に中国紹介記事及び日本歴史関係記事を載せます。

2021年度記事目次

2021年12月31日 00時05分13秒 | 記事目次

辛丑年を終わるに当たって、2020年度(1~12月)記事目次を掲載します。では、壬寅年がよいお年で。

 

O2.23 ソフィール踊り子1号

02.25 伊豆下田

02.27 河津桜2021

03.02 北条氏常磐亭跡―歴史雑感〔62〕―

03.04 大仏切通し―歴史雑感〔63〕―

03.22 2021年鶴見川の紅桜

04.12 山木夜討ち(その四)―歴史雑感〔37〕―

04.20 桜の盛岡城跡公園

04.21 平泉の桜並木

04.24 衣川北岸の安倍氏・奥州藤原氏関係地―歴史雑感〔64〕―

05.02 鎌倉幕府第2代将軍源頼家は何時元服したのか―歴史雑感〔65〕―

05.28 旧藤本家住宅―歴史雑感〔66〕―

06.28 湯河原の不動滝

08.06 後北条氏小田原城遺址(その1)―歴史雑感〔67〕―

08.08 後北条氏小田原城遺址(その2)―歴史雑感〔67〕―

08.12 後北条氏小田原城遺址(その3)―歴史雑感〔67〕―

08.14 後北条氏小田原城遺址(その4)―歴史雑感〔67〕―

08.16 後北条氏小田原城遺址(その5)―歴史雑感〔67〕―

10.16 黒部峡谷と黒部ダム(1)―黒部峡谷

10.12 黒部峡谷と黒部ダム(2)―黒部ダム

11.13 青森・北海道の縄文遺跡(1)大森勝山遺跡―歴史雑感(68)―

11.15 青森・北海道の縄文遺跡(2))亀ヶ岡遺跡―歴史雑感(68―

11.17 青森・北海道の縄文遺跡(3)小牧野遺跡―歴史雑感(68)―

11.19 青森・北海道の縄文遺跡(4)三内丸山遺跡―歴史雑感(68)―

11.22 青森・北海道の縄文遺跡(5)三内丸山遺跡常設展示―歴史雑感(68)―

11.24 青森・北海道の縄文遺跡(6)三内丸山遺跡特別展示―歴史雑感(68)―

11.25 2022年の中国の祝日―中国雑感〔54〕―

11.26 青森・北海道の縄文遺跡(7)大船遺跡―歴史雑感(68)―

12.09 安達氏祖盛長は何故藤九郎とのみ称したのか―歴史雑感〔69〕―

12.31 2021年記事目次

(2021,12.31)

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安達氏祖盛長は何故藤九郎とのみ称したのか―歴史雑感〔69〕―

2021年12月09日 15時43分44秒 | 日本史(古代・中世)

来年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場する安達氏祖盛長は、源頼朝の伊豆国流人の時からそばで仕え、鎌倉幕府成立後では甘縄邸に頼朝が度々訪れる等、最側近として知られています。盛長は『吾妻鏡』に52日所見(内、死後は2日)するが、生前末の正治元年10月27日条の「足立藤九郎入道」と同28日条の「安達藤九郎盛長入道」の2日を除けば、死後も含めて50日は単に名前のみか「藤九郎」とあり、いわゆる名字を付していません。これに対して、盛長嫡子の景盛は初見の正治元年7月16日条に「安達弥九郎景盛」とあるように、名字の安達を付して所見することが多いです。盛長は武蔵武士の足立遠元の叔父で同族との立証があります(金澤正大氏、「公文所寄人足立右馬允遠元の史的意義」(上)『政治経済史学』第156号1979年5月〔『鎌倉幕府成立期の東国武士団』2018年岩田書院再録〕)。

盛長の嫡男景盛の系統が安達氏(城介氏)となり、次男時長の系統が大曽根氏となっており、この両氏の名字は陸奥国安達郡と出羽国大曽根荘に由来するものといえ、いずれも奥州合戦での盛長に対する新恩と考えられています。盛長の子孫が安達・大曽根氏となったことは明瞭です。では、盛長は安達・足立の名字を称したのでしょうか。はたまた単に藤九郎と称したのでしょうか。

改めて、盛長を記している系図類を見てみよう。まず『尊卑分脉』です。『増補国史大系』第59巻の頁286に、北家魚名流山蔭後裔として、傍注「小野田三郎」兼盛の子として、傍注「安達六郎 小野田藤九郎」盛長として所見します。さらに、盛長の頭注には「城介」とあります。次ぎに、盛長の弟として、傍注「右大将家々人安達藤九郎民部丞」遠兼が記載されています。さらに、遠兼の頭注には「安達但小野田三郎兼盛子」とあります。遠兼孫の基春には傍注「安達八郎左衛門」とあります。ただ、遠兼を安達藤九郎とする記載は、盛長にも小野田藤九郎との傍注があり、盛長が九郎、遠兼が六郎と兄弟の淳は逆で、遠兼が兄六郎、盛長が弟九郎とするのが順当であることは、すでに指摘されています(金澤正大氏、同上)。ここで両人とも安達とありますが、遠兼孫の基春に「安達八郎左衛門」との傍注がありますが、この基春は『吾妻鏡』に「足立八郎」「足立八郎左衛門尉」等と所見する足立元春のことです。とすると、『尊卑分脉』の遠兼・基春の安達表記は同訓故に、「安達」を「足立」と誤記したといえ、遠兼の系列の安達は足立とするのがよいです。兼盛・盛長父子には「小野田」の傍注があり、小野田を名乗っていたように思えますが、遠兼にはそれがなく、この点不審です。

さて、保延元年(1135)生まれの盛長より遠元は年上の甥で、仁安元年(1168)には少なくとも30代半ばに達していたと推定されています(金澤正大氏、同上)。「小野田三郎」兼盛は遠元祖父です。ここで遠元生年を切りよく1130年と推定し、さらに一代を25~30年とすると、二代故に兼盛の生年は1080~70年以前と推定することが出来ます。もちろんこの生年は正確ではないでしょうが、盛長の生年からするとより近いかもしれませんが、11世紀後半であることは確かでしょう。

兼盛の生年がそうならば、この時期ではまだ名字が定着一般化していなかったといえます。そこで、源義家が「八幡太郎」と称されましたが、この「八幡」を名字とする見解はなく、「八幡太郎」を字とするのが定説であるのと同様に、傍注「小野田三郎」が正しいとしても、名字とはいえず、字としての個人表記といえましょう。とするならば、盛長の傍注「小野田」が正しいとしても、父と同様に字というべきで名字ではないといえましょう。しかも、兄弟の兼盛には「小野田」傍注はなく「安達藤九郎」とあり、盛長には「安達六郎」とあり、傍注「安達」が共通しており、小野田との共通性はありません。従って、本来は盛長に「小野田」はなかったとすべきでしょう。すなわち、盛長はたんに「藤九郎」とすべきなのです。そうならば、『吾妻鏡』の盛長の表記「藤九郎」と一致するのです。すなわち、盛長は「藤九郎」とすべきなのです。なお、細川重男氏は、小野田を三河国宝飫郡小野田荘として、盛長は同荘を名字の地とする小野田氏庶流としましたが(細川重男氏、「鎌倉政権得宗専制論」2000年吉川弘文館頁67~71)、上述の如く盛長に小野田の名乗りを認められない以上、この論には無理があります。また、兼盛に小野田名乗りがあったとしても、息遠兼が安達、すなわち足立と名乗っているとすると、これは武蔵国足立郡のことであり、そうならば、遠い三河国より同じ関東内の上総国垣生郡小野田郷(千葉県長南町)の方がふさわしいでしょう。

もう一つの系図類が丹波国氷上郡佐治庄(京都府丹波市青垣町佐治)に西遷した足立氏庶流の後裔伝来の「足立系図」(東京大学史料編纂所影写本、『新編埼玉県史』別編年表・系図1992年埼玉県)です。こちらは『尊卑分脉』が盛長後裔を中心としているのに対して、足立遠元後裔が中心となっています。遠元には「号足立」の傍注があり、その男子元春(『尊卑分脉』の基春に相当し、足立氏嫡系)と遠光(丹波足立氏の祖遠政父)とには足立との傍注はありませんが、元重以下の男子には「号淵江田」等の傍注があります。すなわち、遠元の男子で足立氏を名乗る者には「足立」傍注がないことになります。これに対して、男子の最後に記載されている盛長には「号某」との傍注はなく、足立氏嫡流を継承した元春に「対馬守 左衛門尉」との右脇傍注と同様に、「藤九郎」とあるのみです。『尊卑分脉』が盛長・遠元を叔父甥関係としているのに、本系図では遠元・盛長を親子関係としていますが、この点はさておき、盛長が死去するまで官はなく「藤九郎と称していたことと一致します。

以上、盛長を記載する二つの系図類からは盛長が称したのは「藤九郎」ということになります。では、盛長は何故に藤九郎と称したのでしょうか。上述の如く、父となる兼盛の代に名字「小野田」と称したことはないとしました。とすると、兼盛の代には氏名である「藤原」と称していたことになります。そうならば、盛長は「九郎」、おそらく末子であり、兼盛を継承したといえる六郎遠兼に対して、しかるべき名乗りの地を獲得していなかったと考えられ、「藤原の九郎」、すなわち「藤九郎」と称することになったと考えられるのです。すなわち盛長には名字がまだ成立していなかったのです。最後に、盛長に関しては、『武蔵風土記稿』巻之百五十足立郡之十六・糠田村に、殿ノ内出が盛長旧跡であり、放光寺を創立したと、記しています。放光寺(埼玉県鴻巣市糠田1435)には『武蔵風土記稿』にも記載されている伝安達盛長座像(南北朝時代)が現存します。その伝承が確かなら、盛長の居館は足立郡糠田にあったことになります。これらの伝承は盛長が足立郡に拠点があったことを窺わせるもので、足立氏の一族に属していたことも窺わせるものです。

(2021.12.09)

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