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歴史と中国

成都市の西南交通大学で教鞭をとっていましたが、帰国。四川省(成都市)を中心に中国紹介記事及び日本歴史関係記事を載せます。

春節の横濱媽祖廟

2017年01月29日 19時44分04秒 | 観光(日本)

2017年1月28日(土)は旧暦元旦です。すなわち中国の春節です。そこで、横浜中華街に出かけてみました。世代が変わったのか、ここも日本化しており、かつてのような春節らしさはあまり見かけず、いつもの週末のようでした。それでも、春節らしさを見せていたのは「天后宮」横濱媽祖廟(開港150周年の2006年3月に落慶開廟)でした。福建省の林氏娘は神通力を発揮して尊敬されて、28歳で天に召されて神となったとされて、死後海の守護神かつ災害からの守護神の「媽祖」として信仰の対象となり、同省が華僑の主な出身地でもあり、中国各地のみならず世界へと廟が建立されるようになりました。

写真1は、廟殿正面です。右側に見えるのが春節の時の神輿です。これは担ぐのではなく、参詣者が下を潜り効験を求めます。春節らしく中国のお祝いの色の赤で満艦飾がなされています。

写真2は、堂を一周して戻ってきた2頭の獅子です。ここで踊りを披露します。

写真3は、踊りの続きで横になった時です。

最後の写真4は、中国式の長い太い線香を捧げ祈る人々です。

(2017.01.29)

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兜塚古墳―歴史雑感〔28〕―

2017年01月25日 19時48分36秒 | 日本史(古代・中世)

2017年1月24日(火)午前、兜塚古墳址に行ってきました。本古墳址は横浜市鶴見区駒岡3-40に所在し、県道140号の南側に位置し、東に上末吉小学校に隣接しています。最寄りの停留所は上末吉小学校(綱島駅鶴見駅・綱島駅川崎駅西口)です。

本古墳地は古来兜塚と呼ばれていました。というのは、長禄元年(1457)に太田道灌が支城地の調査ため、加瀬の台(川崎市幸区)を候補地として一夜を過ごした時、道灌の兜を鷲が奪って、本地に落とし、そして鷲が兜を埋めたいう伝説から、その名が付きました。1938年の土取工事で破壊されて、現在では墳丘はなく址のみです。1931・1938年の調査で6世紀頃の築造で高5.8m・径30.8mの円墳とされました。

写真1は、歩道橋から兜塚の地を見下ろしたものです。左脇の道を少し上がり、歩行者用道標の右側に「兜塚」石標があり、この階段を上って、右手に入ると兜塚古墳址です。なお、左側の建物は上末吉小学校です。

写真2は、歩道から見上げた兜塚古墳址です。「兜塚」の表示と塀と石垣が構築されて、城を模しています。

最後の写真3は、墳丘がなくなり平坦となった兜塚古墳址です。1966年10月建立の「遺蹟」石碑と、兜塚伝説400年を顕彰する明治4年(1871)に駒岡村が建立した「兜塚」石碑です。

(2017.01.25)

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総持寺初詣

2017年01月01日 18時20分37秒 | 初詣

曹洞宗大本山総持寺に初詣に行きました。この写真をお目にかけます。写真1は、三門です。2階に「謹賀新年」の幕が見えます。

写真2は、仏殿(大雄宝殿)です。堂内に入るため、一応整理の行列を作りますが、込んでないので直ぐ入れました。

最後の写真3は、堂内です。

(2017.01.01)

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