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歴史と中国

成都市の西南交通大学で教鞭をとっていましたが、帰国。四川省(成都市)を中心に中国紹介記事及び日本歴史関係記事を載せます。

富士山と初詣(5)山中城跡―歴史雑感〔70〕―

2022年01月14日 16時50分10秒 | 日本史(古代・中世)

2022年1月2日(日)、12時50分前に最後の訪問地、山中城跡に着きました。本城は永禄年間に後北条氏が対武田戦の西の境目の城として築いたとされています。豊臣氏との緊張関係が高まった天正15年(1587)頃から改修工事が始まり、開戦前の17年(1589)に南北に東海道を扼する尾根に出丸、岱崎出丸が築かれます。そして、18年(1590)3月28日、豊臣軍先鋒の豊臣秀次を総大将とする約3万5千の大軍が玉縄城主北条氏勝を総大将とする後北条軍約4千と激突します。第一陣に一柳直末が大手口、中村一氏が岱崎出丸攻略担当となり、第二陣に山内一豊が続行します。この予備隊として堀尾吉晴と田中吉政が控えました。一方、搦手に当たる西櫓・西ノ丸には徳川家康が攻略を担当しました。早朝より開始された攻撃に対して、後北条軍は凄まじい射撃で応え、攻撃は一字頓挫し、一柳直末は銃弾に当たり戦死しました。中村隊の先鋒侍大将の渡辺勘兵衛了が一番乗りを果たし、これを突破口に中村隊は岱崎出丸を占領します。ここで中村隊の攻撃は頓挫します。一方、徳川隊は西櫓・西ノ丸の西斜面(堀)を登り占領に成功します。これにより、戦闘の勝利はないと判断し北条氏勝を脱出させたことで、城兵は動揺し、渡辺勘兵衛等は三ノ丸に突入します。また、徳川勢も元西櫓、二ノ丸と突入し、両勢はほぼ同時に本丸に突入し城は申下刻(16時)頃に陥落します。こうして豊臣軍は初戦において力攻めをかけ、後北条氏の箱根山防衛最前線である山中城を陥落せました。これにより、本城で豊臣軍を拘束し時間を稼ぎ、その間で小田原本城の主力軍を箱根山に布陣させ、箱根山決戦を行うという後北条氏の戦略が破綻したことになります。この結果、豊臣軍主力は抵抗なく小田原城へと進撃したのです。以上、山中城攻防戦は後北条氏攻略のエポックとなった戦闘です。

写真1は、国道1号線(東海道)脇の広場に設置された山中城跡案内図です。

まず城南部地域の岱崎出丸から見学します。写真2は、国道右(東)から出丸に入ったところで、岱崎出丸を南へと撮ったものです。

写真3は、進んで逆に岱崎出丸を北に撮ったものです。

写真4は、御馬場曲輪と西側の土塁です。

写真5は、御馬場曲輪南端から南に撮ったものです。前面に堀が巡らせてあり、右の土塁の先に角張ったところが城最南端の擂鉢曲輪見張り台です。

写真6は、御馬場曲輪南堀です。

写真7は、御馬場曲輪を下り、岱崎出丸南地区です。

写真8は、出丸の西側を防備する、復元整備された一の堀です。堀底から土塁まで高18~20m・斜度70度の空堀で、写真のように堀底に畝傍を残して侵入兵の左右の移動を妨害します。

写真9は、一の堀を南へと撮ったものです。急峻なことが分かります。

写真10は、擂鉢曲輪からの富士山です。

写真11は、擂鉢曲輪です。地面を掘り下げて擂鉢状にしたことからこの名称となりました。

写真12は、岱崎出丸南地区からの御馬場曲輪です。

国道へと戻り、本城の北地域に向かいます。まず、三ノ丸堀があります。写真13は、北の先端から南に国道側へと撮ったものです。当時の東海道は岱崎出丸北に接した三ノ丸を通過して箱根山に至ります。すなわち、三ノ丸を抜かない限り東海道は通れないのです。三ノ丸地区は人家等があり、発掘復元が出来ません。

写真14は、左が西ノ丸土橋、奥が西ノ丸、右が元西櫓下の堀です。

写真15は、西ノ丸です。

写真16は、西ノ丸西側土塁です。

写真17は、西ノ丸見張り台からの富士山です。

写真18は、西ノ丸・西櫓間の四角に障壁を設けた障子堀です。

写真19は、出撃地点となる西櫓(角馬出)です。

写真20は、西櫓の堀で、ご覧のように畝傍造りとなっています。

写真21は、西ノ丸・西櫓間の障子堀です。

写真22は、西ノ丸・本丸下を北に進んだところにある北ノ丸です。

写真23は、本丸北西隅の天守櫓跡です。

写真24は、本丸です。

写真25は、本丸・二ノ丸間の堀です。

写真26は、二ノ丸です。

写真27は、二ノ丸上からの元西櫓、西ノ丸です。

真28は、二ノ丸架橋です。これで本城見学は終わりです。

最後の写真29は、三ノ丸に位置する宋閑寺内にある一柳直末墓です。傍らには後北条氏の松田康長等の墓もあり、敵味方が同所に葬られているのです。以上で訪問地は終わりで、14時50分に出発し、横浜に予定より30分早く17時に到着し、ツァーを終えました。

なお。フォト・アルバム「山中城跡」はhttps://1drv.ms/u/s!AruGzfkJTqxng719e5QyryDXs0xVsQ?e=fHHc7iです。

(2022.01.14)

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富士山と初詣(4)富士山本宮浅間大社と三嶋大社

2022年01月12日 18時29分37秒 | 観光(日本)

2022年1月2日〈日〉、8時に出発し、神社初詣です。8時20分に富士山本宮浅間大社に到着しました。写真1は、第一鳥居です。奥に雲がかかっていますが、富士山が見えます。

写真2は、石鳥居です。

写真3は、楼門(間口4間・奥行2間半・高6間半、2階入母屋造)です。

写真4は、拝殿です。

写真5は、拝殿での参拝です。

写真6は、左に国宝本殿(二重の楼閣造・棟高45尺、2階は間口3間・奥行2間・桧皮葺)、間に幣殿(間口5間・奥行3間)、右に拝殿(間口5間・奥行5間)です。以上、徳川家康の寄造営です。

写真7は、拝殿右から本殿2階を見ます。

写真8は、本殿2階です。

東脇門を出ると、写真9の、涌玉池です。富士山噴火の溶岩流の末端に位置し、湧水の池です。

写真10は、溶岩流の末端部の涌玉池で、段となった奥から大量の湧水が出ます。写真のように池には鴨が飼われています。

写真11は、やはり涌玉池です。以上で浅間大社は終わりで、9時10分に出発しました。

9時50分に三嶋大社に着きました。写真12は、大鳥居です。

写真13は、神池です。石橋の上からです。

写真14は、総門です。

写真16は、神門です。

写真17は、舞殿です。

写真18は、慶応2年(1866)竣功の重要文化財の拝殿です。

写真19は、拝殿の参拝です。

写真20は、拝殿、奥に本殿です。

写真21は、舞殿右手前の樹齢約12000年と推定される金木犀です。

写真22は、神門右手前の神馬舎前の源頼朝(左)・北条政子(右)の腰掛け石と伝えるものです。

写真23は、芸能殿です。元の総門を移築したものです。

芸能殿のさらに右奥が、写真24の、神鹿園です。

最後の写真25は神池の脇に並ぶ屋台のテントです。11時20分に出発し、お食事処松韻で昼食です。

(20022.01.12)

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富士山と初詣(3)日本平と三保の松原

2022年01月10日 10時02分44秒 | 観光(日本)

2022年1月1日(土)、久能山東照宮からロープウェイで日本平に10時45分過ぎに移動してきました。日本平夢テラスの展望回廊に上り、時計回りで富士山を展望します。写真1は、広角で前に静岡市清水区、後に富士山から箱根山への遠望です。

写真2は、望遠での富士山です。

写真3は、望遠いっぱい(35mm換算450mm相当)での富士山です。

写真4は、展望回廊を写し込んで、下に清水港、奥に富士山です。

写真5は、望遠での宝永火口側の富士山です。

写真6は、逆側の富士山です。

写真7は、望遠気味の富士山全景です。

写真8は、静岡市街から西へです。

写真9は、遠く白く見えるのが南アルプスです。

写真10は、展望回廊上からの富士山全景です。

写真11は、日本平ロープウェイです。以上で、日本平は終わりで、12時半、昼食の日本平の日月星に移動です。13時20分、次の観光地三保の松原に移動です。

13時40分に東海大学自然史博物館前駐車場に着きました。これから三保の松原散策です。、写真12は、三保真崎海水浴場からの広角での富士山遠望です。

写真13は、船が清水港を出港するところを富士山と共に撮ったものです。

写真14は、望遠気味にして撮った富士山です。

写真15は、望遠いっぱいでの富士山です。

写真16は、富士山全景です。

写真17は、三保灯台通りからの清水港です。

写真18は、両側に松を入れての富士山です。

写真19は、三保飛行場海岸からの富士山と箱根山です。

写真20は、同じく望遠いっぱいの富士山です。

写真21は、清水灯台です。

写真22は、清水灯台を取り込んだ富士山です。

写真23は、松林と富士山です。

写真24は、三保松原海岸からの富士山です。

写真25は、羽衣の松です。手前は羽車神社です。

写真26は、羽衣の松です。

最後の写真27は、エレーヌ・ジュグラリス夫人の「羽衣の碑」です。以上で三保の松原散策は終わり、神の道を経た御穂神社手前の左先(西)の駐車場から15時50分に出発し、17時50分に宿に戻りました。

(2022.01.10)

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富士山と初詣(2)田貫湖(御来光)と久能山東照宮

2022年01月08日 15時17分06秒 | 観光(日本)

2022年1月1日、5時50分に出発し、富士山麓の田貫湖での御来光です。6時25分に着き、6時52分の日の出を待ちます。写真1は、姿を見せた太陽です。7時4分で、遠くの山陰から上るため少し遅いです。

写真2は、広角いっぱいにして富士裾野を入れて撮ったものです。

写真3は、ほぼ上ったところで撮ったものです。

写真4は、広角気味して撮ったものです。

写真5は、完全に上ったところです。

写真6は田貫湖を前にした富士山全景です。本朝は雲一つない快晴です。、

写真7は、望遠気味で撮った富士山です。以上で田貫湖は終わり、ホテルに戻り朝食です。

8時40分に出発し久能山東照宮に向かい、9時40分到着しました。写真8は、一ノ鳥居です。ここから表参道石段1159段を上ります。

写真9は、表参道石段の途上から見下ろして撮ったものです。

写真10は、一ノ門です。武田氏の久能山城の大手門に当たります。

写真11は、一ノ門前からの伊豆半島遠望です。

写真12は、一ノ門を入ったところからの遠州御前崎への遠望です。

写真13は、楼門です。

写真14は、本殿への唐門右にある、徳川家光が建立した五重塔礎石(明治維新の神仏分離で破壊)です。

写真15は、唐門とその前の唐灯籠です。左に初詣客が並びます。

写真16は、国宝の拝殿前で参拝します。

写真17は、拝殿です。

写真18は、本殿です。

写真19は、神廟(徳川家康墓)です。

写真20は、同じく神廟です。

写真21は、裏面からの神廟です。

写真22は、奥左からの神廟です。

写真23は、神廟の左にある家康の逸話による「金の成る木」(楠)です。

最後の写真24は、重要文化財の日枝神社拝殿です。次いで、10時40分過ぎにロープウェイで日本平に移動します。

(2022.01.08)

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富士山と初詣(1)大室山と伊豆の国パノラマパーク

2022年01月06日 18時49分22秒 | 観光(日本)

2021年12月31日(金)から2022年1月2日(日)まで、クラブツーリズム主催の「『伊豆・駿河』6つの富士と新春初詣三社参りウォーキング3日間」で富士山観望と初詣を行いました。基本旅程は、

31日(金) 大室山、伊豆の国パノラマパーク(葛城山) 富士宮富嶽温泉泊

1日(土) 田貫湖(御来光)、久能山東照宮、日本平、三保の松原 同泊

2日(日) 富士山本宮浅間大社、三嶋大社、山中城跡

です。

本ツァーは新宿駅西口発ですが、横浜駅東口から乗車し9時半に出発しました。12時前に最初の観光地大室山に着き、リフトで山上に上がりました。山上に来ると、強風により立って歩行するも困難でしたが、少し治まり時計回りに歩き出し撮ったのが写真1です。伊豆七島が遠望でき、これは大島です。

写真2は、少し進み、大島と右に利島を入れたものです。

写真3は、大室山山頂(標高579.6m)に設置してある三角点の案内板です。

写真4は、山頂付近からの南への伊豆半島です。

写真5は、西からの大室山火口です。

写真6は、北からの富士山と箱根山遠望です。少し切れましたが山頂は雲がかかっています。

写真7は、同じく富士山です。14時過ぎに出発しました。

14時50分頃、伊豆の国パノラマパーク(葛城山)に到着し、ロープウェイで上がり、撮ったのが写真8の、富士山す。

写真9は、伊豆の国市の淡島です。

写真10は、箱根山の遠望です。下の街は長岡温泉です。

写真11は、淡島、沼津市街、富士山です。

写真12は、葛城山山頂(452m)からの富士山です。

写真13は、ロープウェイ山上駅です。

最後の写真14は、足湯で、富士山を遠望できます。以上で本日の観光を終え16時20分過ぎに出発し、沼津で寿司夕食後、18時40分に本日の宿富士宮富嶽温泉に着きました。

(2022.01.06)

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