明日(2013年7月17日)、帰国します。1985年夏以来、帰国していた時期も夾み、26年余、日本語教師として、西安・武漢・成都と過ごしてきましたが、これで任務終了です。なお、帰国は北京乗り継ぎの羽田便となります。
今後の更新は少なくなると思いますが、歴史を中心に更新したいと思います。
明日(2013年7月17日)、帰国します。1985年夏以来、帰国していた時期も夾み、26年余、日本語教師として、西安・武漢・成都と過ごしてきましたが、これで任務終了です。なお、帰国は北京乗り継ぎの羽田便となります。
今後の更新は少なくなると思いますが、歴史を中心に更新したいと思います。
武侯祠(葛孔明廟)には孔明の名文として著名な南宋の武将岳飛書と伝える「出師表」の石刻が掲示されています。ここ成都の武侯祠でも、漢昭烈廟(蜀皇帝劉備)にそれが入口左右の壁に掲げられています。左側が「前出師表」、右側が「後出師表」です。後者はしかるべき史書にも記載がなく、偽作と評価されています。そこで、ここでは「前出師表」を示します。全体は6行分毎に石刻された20枚からなります。ここでは、冒頭の2枚と、岳飛名のある最後の1枚を写真で示します。そして、その後に石刻全文と書き下し文を示します。
『三国志』所載と少し異なる石刻の全文です。
① 前出師表
臣亮言先帝創」業未半而中道」崩殂今天下三分」益州疲弊此誠
②危急存亡之秋」也然侍衛之臣」不懈于於内忠志之」士忘身於外」者蓋追先帝」之殊遇欲報之
③於陛下也誠宜開張」聖聴以光先帝」遺恢宏士」之氣不宜妄自」菲薄引喩失」義以塞忠諫
④之路也宮中」府中倶爲一」軆陟罰臧否」不宜異同若有」作姦犯科及」為忠善者宜付
⑤有司論其賞」以昭陛下平明」之治不宜偏私」使内外異法也」侍中侍郎郭
⑥攸之費褘董」允ホ此皆良實志」虑忠純是以先」帝簡抜以遺」陛下愚以爲宮中
⑦之事々無大」小悉以咨之然」後施行必能」裨補闕漏有」所廣益将軍向
⑧寵性行淑均」曉暢軍事試」用於昔日先帝称」之曰能是以衆」議擧寵以為」督愚以為営中
⑨之事事無大小」悉以咨之必能使」行陣和穆」優劣得所也」親賢臣遠小人此先
⑩漢之所以興隆」也親小人遠賢臣」此後漢之所以頽」敗也先帝在時毎」与臣論此事」未嘗不嘆息痛
⑪恨於桓霊也侍中」尚書長史參軍」此悉貞亮死節」之臣也願陛下親之」信之則漢」室之可計日
⑫而待也臣本布」衣躬耕南陽荀」全性命於亂世」不求聞達於諸」侯先帝不以臣卑」鄙猥自枉屈
⑬三顧臣於草盧」之中諮臣以當世」之事由是感」激遂許先帝」以馳驅後値傾」覆受任於敗軍
⑭之際奉命於危」難之間尓来」廾有一年矣先」帝知臣謹慎故」臨終寄臣以大」事也受命以
⑮来夙夜憂虑恐」付託不効以傷先」帝之明故五」月渡瀘深入不毛」今南方已定甲」兵已足當奨帥三
⑯軍北定中原庶」掲弩鈍攘除姦」凶興復漢室還」於舊此」臣所以報先帝而忠陛」下之職分也至于於
⑰斟酌損益進尽」忠言則攸之褘允之」任也願陛下託臣以」討賊興復之効不効」則治臣之罪以」告先帝之
⑱霊若無興徳」之言則責攸之」褘允ホ之咎」以彰其慢」陛下亦宜自謀」以諮諏善道察
⑲納雅言深追」先帝遺」詔臣不勝」受恩感激」今當遠離
⑳臨表涕泣」不知所云
岳飛
〔書き下し文〕
前出師表
臣亮言わく。先帝創業いまだ半ばならずして中道にして崩殂す。今天下三分し、益州疲弊し、これ誠に来危急存亡の秋なり。しからば侍衛の臣内に懈らず、忠志の士は身を外に忘るるは、蓋し先帝の殊遇を追うて、これを陛下に報いんと欲すればなり。誠に宜しく聖聴を開張するに、光る先帝の遺徳を以てすべく、志士の気を恢弘し、宜しく妄りに菲薄に自りて、喩えを引きて義を失うて、以て忠諫の路を塞ぐべからざるなり。宮中・府中は俱に一体となり、陟罰臧否、宜しく異同あるべからず。若し姦を作し科を犯し忠善を為すに及びては、宜しく有司に付してその賞を論ずるに、陛下の平明の治を昭らかにするを以てし、宜しく偏私し、内外の異法をなからしむべからず。侍中侍郎の郭攸之﹑費禕﹑董允等は、これ皆な良実にして、志慮忠純にして、これを以て先帝簡抜し以て陛下に遺す。愚は以て宮中の事を為し、事に大小無く、悉くこれに咨るを以て、然る後に施行し、必ず能く闕漏を裨補し、広く益する所有り。将軍の向寵は、性行淑均にし、軍事に暁暢し、試みに昔日に用いるに、先帝これを称して能と曰い、これを以て衆議は寵を挙げ督と為す。愚は以て営中の事を為し、事大小なく、悉くこれに咨るを以て、必ず能く行陣和穆し、優劣の所を得せしむなり。賢臣に親しみ、小人を遠ざくるは、これ先の漢の興隆せし所以なり。小人に親しみ、賢臣を遠ざくるは、これ後漢の傾頽せし所以なり。先帝の在時、毎に臣とこの事を論じ、未だ嘗て歎息して桓霊を痛恨せざることあらざるなり。侍中、尚書、長史、参軍は、これ悉く貞良死節の臣なりて、願わくは陛下これに親しみこれを信じ、則ち漢室の隆なるを、日に計りて待つべきなり。臣はもと布衣にして、南陽に躬耕し、苟くも性命を乱世に全うし、諸侯に聞達せらるるを求めず。先帝は臣を以て卑鄙とせず、猥りに自ら枉屈し、三たび臣を草廬の中に顧みて、臣に諮るに当世の事を以てす。これに由りて感激し、遂に先帝に以て駆馳を許さる。後に傾覆に値い、任を敗軍の際に受け、命を危難の間に奉り、爾来二十有一年なり。先帝臣の謹慎なるを知り、故に臨終に臣に寄するに大事を以てすなり。命を受けて以来、夙夜に憂歎し、託付して效あらずして、以て先帝の明を傷つくを恐れ、故に五月瀘に渡り、深く不毛に入る。今南方已に定まり、甲兵已に足り、当に奨めて三軍を率い、北に中原を定め、庶く駑鈍を竭し、姦凶を攘い除き、漢室を興復し、旧都に還らんとす。これ臣の先帝に報いて、陛下の職分に忠なる所以なり。損益を斟酌するに至り、進んで忠言を尽す、則ち攸之﹑禕﹑允の任なり。願わくは陛下の臣に託するに討賊興復の效を以てせんことを。效あらざれば、則ち臣の罪を治め、以て先帝の霊に告げん。若し徳を興すの言無くば、則ち攸之﹑禕﹑允等の咎を責め、以てその慢を彰らかにせん。陛下亦た宜しく自ら謀り、以て善道を諮諏し、雅言を察納し、深く先帝の遺詔を追うべし。臣恩を受けて感激に勝えず。今、遠離に当たり、表を臨みて涕泣し、云う所を知らず。
なお、フォトアルバム「成都・武侯祠伝岳飛書「前出師表」」はhttps://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngpkpZgBFS45qrEkuvAです。これに全20枚の石板写真を収載してあります。
(2013.07.06)