2025年4月24日(木)午前、韮山城跡(静岡県伊豆の国市韮山438−3)に行ってきました。韮山城は後北条氏初代北条早雲の生涯の居城として知られてます。第5代当主北条氏直の弟の城主北条氏規により対豊臣戦を迎えるため天正7年(1588)から大改修が行なわれ、現在の遺構はこれによっています。本城と新たに構築された南の天ヶ岳砦と和田土手砦等から構成されています。本城は南北約400m・東西約100mの細長い尾根の籠城山上に築かれています。南北に曲輪が並ぶ構造となっています。攻城側の豊臣軍は箱根の山中城は強襲により1日で落城させましたが、韮山城では包囲策を取り周囲に陣城を築きました。
写真1は、韮山駅から蛭が小島への道の途上で韮山城のある山全景を撮ったものです。手前の低い丘で、右(南)か左(北)へと本丸、二の丸、権現曲輪、三の丸と並んでいます。なお左下の建物は県立韮山高校です。

写真2は、本丸の先から西に延びる尾根の堀切3です。城池側から撮ったものです。更に西には掘切4があります。

池側から上って撮ったのが、写真3の二の丸です。ご覧のように曲輪は土塁で囲まれています。

写真4は、本丸から北へ富士山を望見したところですが、曇で隠れています。なお、本丸・二の丸間には堀切1があります。

写真5は、本丸から南に続く尾根曲輪を見たものですが、崖崩れの危険があるため立入り禁止となっています。奥の山は天ヶ岳です。ご覧のように韮山城を見下ろす位置にあり、北条氏規により天ヶ丘砦と東側(右)に土手和田砦が構築されました。

写真6は、現在の本丸の登り口です。西側には細長い腰曲輪が設けられています。

写真7は、権現神社のある権現曲輪です。池からの道はこの郭南側に出ます。権現曲輪・二の丸間には堀切2があります。

最後の写真8は、権現曲輪南西の出口ですが、「寛政絵図」には記載がなく近世に出来たものと思われます、ただこれで土塁の高さが分かります。下ると韮山高校内に出ます。

(2025.04.29)