2025年2月15日(土)、武蔵野文化協会・国宝史蹟研究会共催の「旧芝離宮恩賜公園を散策」に参加しました。本地は海であったのが明暦年間(1655~58)に埋め立てられ、延宝6年(1678)に老中大久保忠朝の邸地となり、上屋敷建築に際して、領地小田原から庭師を招き作庭し、「楽寿園」と名付けました。その後拡張され総面積48.600㎡となりました。数代を経て、幕末には紀州徳川家の別邸芝屋敷となりました。明治維新後、1875(明治8)年に芝離宮となり、1923(大正12)年の関東大震災で全ての建物等が焼失しました。翌年に皇太子(昭和天皇)成婚記念として東京都に下賜され、公園として整備され現在に至っています。
写真1は、入口から入ったところで、南へとほぼ全景を撮ったものです。

写真2は、奥左に滝石組、さらに奥右に八ッ橋、中島、西湖の堤です。

写真3は、大泉水(池)の浮島、奥に大山です。

写真4は、手前右に立つ雪見灯籠、奥に右から大山、西湖の堤、中島です。

写真5は、雪見灯籠です。

写真6は、洲浜です。

写真7は、手前左に雪見灯籠、奥中央に中島です。

写真8は、奥中央が西湖の堤です。中国杭州市の世界遺産西湖にある白堤をを模しています

写真9は、大山からの大泉水です。中央が中島です。

写真10は、奥に池へと枯滝です。左右に石を詰み渓谷を作り、石を滝に模しています。

写真11は、小山からの西湖の堤と中島です。

写真12は、中島から浮島です。ご覧のように島や池には鳥が集っています。

写真13は、石柱です。後北条氏家臣旧邸の門柱を運んだものとされますが、用途は不確かです。

写真14は、石橋の左は大島です。奥は左から、大山、西湖の堤、中島です。

写真15は、九尺台です。この奥(西)は往時は海であり、海の展望台であったといえる。

写真16は、八ッ橋で奥は中島です。

写真17は、瀧石組です。奥の石橋のところの水路は海に通じており、往時の大泉水は潮入池でした。

最後の写真18は、奥に左から八ッ橋、中島、西湖の堤です。

(2025.02.22)