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歴史と中国

成都市の西南交通大学で教鞭をとっていましたが、帰国。四川省(成都市)を中心に中国紹介記事及び日本歴史関係記事を載せます。

再訪望叢祠―成都雑感〔160〕―

2017年11月22日 15時41分17秒 | 観光(成都)

2017年11月3日(土)、久しぶりに望叢祠(成都市郫都区望叢西路5号)を訪れました。2007年9月27日以来です。本祠は古蜀王国の伝説上の王、望帝・叢帝両帝の陵のあるところです。両帝に関しては「望叢祠―成都雑感〔50〕―」(2007年10月28日付)をご覧ください。本祠は成都市西北郊外22㎞にある成都市郫都区城にあります。入場は無料で、開館時間は8時~18時です。市内からの公共交通は、地下鉄2号線終点の犀浦站下車、犀浦快鉄站でP17(9番目停留所)・720路(16番目)乗車し終点の郫都区客運中心站(2元)下車、同站でP08路に乗継ぎ望叢路站(2つ目・2元)下車です。犀浦站からは約1時間強かかります。

大門を入ると、正面に「望叢祠」壁が目に入ります。この奥にあるのが望帝叢帝紀念館で、写真1は、この正面からのものです。1993年に改築されたコンクリート製の建物です。

写真2は、館内に祀ってある陵の塑像で、左が望帝、右が叢帝です。説明がないため何時のものか分かりません。堂内の壁には両帝を中心に古蜀王国の説明が掲示されています。

紀念堂の後面に出て、橋(左右は池)を渡り直進し、左手に階段を上ると、望帝陵正面に出ます。写真3は、「古望帝之陵」碑(高3.48m・幅0.58m・厚0.14m、1917年建立・青砂岩)が立てられた望帝陵(高15m・長径131.6m・短径37m・周長250m、軸は南東・北西)の南東正面からのものです。

写真4は、望叢陵の周りを右から巡って、左側中途から撮ったものです。

写真5は、正面から下ったところから撮ったものです。望帝陵は明らかに自然の丘を陵として伝承されてきたものです。

望帝陵から下って直進し、道を左(北)へ池を越えていくと、写真6の、叢帝陵(高10m・長径約41m・短径約20m・周長約100m)の正面に出ます。やはり正面は南東です。「古叢帝之陵」碑は望帝陵のそれと同じです。

写真7は、叢帝陵の裏に回って撮ったものです。

さらに紀念館の方へと戻ると、写真8の、聴鵑楼に出ます。本楼は「望叢大華玉器博物館」となっており、古代から現代までの中国各地の玉器展示となっています。

手前の現代等の玉器展示の奥に古代玉器の展示があります。写真9は、和田白玉龍形佩です。殷代のもので、長6cm・重さ30gです。

写真10は、五彩沁玉壁です。古蜀文明のもので、外径14.7cm・内径3.6cm・重さ500.6gです。

写真11は、青玉「止」字銘文戈です。周代のもので、長21cm・幅8.5cm・重さ295gです。

写真12は、墨玉篏緑松石雙耳罐です。古羌文化のもので、高13cm・直径20cm・重さ230.5gです。

写真13は、九節神面弦紋玉琮です。良渚文明のものです。高37cm・方9.5cm・重さ495.5gです。

最後の写真14は、紀念館の南北に広がる北側の池の荷風亭上から紀念館を見たものです。左手の藕香謝上では機構をしているグループが見えます。なお、ここにあった茶館は現在では営業を停止しているようです。

なお、フォト・アルバム「成都(郫都区)・再訪望叢祠」はhttps://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngs1z8uFmBAAhfU5MYAです。

(2017.11.22)

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続・成都博物館―成都雑感〔159〕―

2017年11月20日 09時58分32秒 | 観光(成都)

2017年11月1日(水)、昨年は時間の関係で参観できなかった5階の「中国皮影木偶展」を見るために、再度成都博物館に行ってきました。前回のは「成都博物館―成都雑感〔157〕―」(2016年11月16日付)です。今回は「中国皮影木偶展」を紹介します。

第一展庁「中国皮影博物館」で、基本的展示は中国各地の皮影(影絵)です。写真1は、五鋒会/辞父(清代・河北)です。

写真2は、青海・甘粛・寧夏のです。

写真3は、百蛇伝/断橋(清代・四川)です。他、各省の皮影が展示されています。なお、皮影の材料の基本は牛皮です。

写真4は、皮影の製作器具、すなわち刀等です。

次いで、第二展庁「影舞万象偶戯大千」、すなわち木偶戯(人形芝居)の展示です。写真5は、演奏楽器の鼓(現代)・三弦(近現代)です。

写真6は、大饠・板鼓・木頭・碗碗(近現代)です。

写真7は、提繊木偶戯(操り人形芝居)です。

写真8は、その木偶(現代・福建)です。

写真9は、同じく木偶です。

写真10は、木偶頭です。


写真11は、木偶の制作過程を示したものです。


写真12は、木偶戯「大名府」(現代・福建)です。

写真13は、木偶戯「西遊記」等です。

最後の写真14は、天府広場から成都博物館を見たものです。右上端には白い毛沢東像を写し込んでいます。また、チベット族のラマ僧が右手にスマートフォンを持っていることに今の中国が見えています。そして、「蜀犬陽に吠ゆ」と称されたように、曇天が普通の成都市が、ご覧のように、珍しくも晴天でした。

なお、フォト・アルバム「成都・成都博物館」はhttps://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngsdC1U1j874TnKBCfwです。また、成都博物館の公式サイトはhttp://www.cdmuseum.com/です。

(2017.11.20)

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成都市地下鉄10号線(空港線)―成都雑感〔158〕―

2017年11月16日 16時00分21秒 | 交通

017年10月31日(火)、本年9月6日に試開業した成都市地下鉄10号線に乗ってきました。10号線の1期工程は全長約10.9kmで、太平園站、途径簇綿站、華興站、金花站、双流機場1航站楼站、双流機場2航站楼站の6駅が設置されました。起点の太平園站で3号線に接続します。また、年末開業予定の環状線の7号線とも接続します。この10号線の開通で市内から地下鉄で成都双流国際空港に行けるようになりました。そして、3号線の春熙路站(2号線接続)・新南門站・省体育館站(1号線接続)・市二医院站(4号線接続)等と繋がり、将来は7号線の文化宮站(4号線接続)・一品天下站(2号線接続)火車北站(1号線接続)・成都東客站(2号線接続)・火車南站(1号線接続)等と繋がります。太平園站・双流機場1航站楼站間は約11分、太平園站・双流機場2航站楼站間は約13分です。太平園站・春熙路站間は約15分です。乗継ぎ時間を考えると、春熙路・双流機場2航站楼站間は約30分強で、運賃は6元となります。

写真1は、成都双流空港第2ターミナルの到着出口です。ご覧のように床の青の案内表示に従って移動します。出口からは右へが地下鉄・鉄道で、直進がバス・タクシーです。

写真2は、地下2階への下りのエスカレーターです。この手前にはエレベーターがあります。

写真3は、エスカレーターを降りて、床の青の表示に従って左に曲がり、駅への通路を見たものです。

写真4は、地下鉄駅入口です。左に見えるのは空港内に入るための安全検査所です。

写真5は、自動券売機で、基本的に切符はこれで購入です。紙幣と1元硬貨に対応しています。もちろん交通カード(天府通公文卡)利用とこのチャージができます。現在、駅にはカード販売所はありません。なお、春期路站D出口には販売所があります。

写真6は、自動改札機で、カード(切符)を黄色のところにタッチして入ります。その前に安全検査で手荷物をX線検査機に通す必要があります。奥に見えるのがそうです(もちろん手前側にもあります)。この安全検査は中国共通のものです。

改札後、エスカレーターでホームに下ります。写真7は、入線してきた電車です。ドアが開いたら乗車です。

写真8は、10号線の車内風景です。今までの路線の車両と異なり、縦列座席と横列座席の両方があります。これは10号線全線が開通すると、市郊外県とを結ぶ長距離路線となるためでしょう。なお、写真に見るように保安要員が乗車しています。

終点の太平園站で降りると、同一ホーム上で4号線に乗換えができます。降りてそのまま前方に進めばいいです。写真9は、4号線を待つ乗客たちです。右手奥に見えるホームは降車ホームで、10号線への乗換えは案内に従ってエスカレーターで上り再度下ることになります。

最後の写真10は、双流機場2航站楼站に掲示されている成都市地下鉄始発・終電時刻案内です。10号線双流機場2航站楼站の始発は6時5分、終電は23時5分です。ご覧のように、中国の地下鉄は終電が速いですから、深夜の利用はできません。

(2017.11.16)

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西安博物院―中国雑感〔33〕―

2017年11月14日 14時33分51秒 | 観光(中国)

2017年10月29日(日)、西安博物院(西安市友誼西路72号)を見学しました。本院は2007年5月開館し、小雁塔景区内にあり、開館時間は9~17時半(閉館日火曜日・祝日開館)、無料(旅券提示)です。

まず1階の臨時展庁の「十年蔵珍―西安博物院新入蔵文物精品展」です。最初は各種の銅器で、写真1は、窃曲紋銅鼎です。

写真2の中央右は、殿中郎中郎将印(魏晋南北朝)です、上に朱の印影が掲示されています。

写真3は、破鏡重円(南朝)と鎏金銅鋪首(唐)です。

写真4は、幡龍紋金鋪首(南朝)です。

写真5は、釉陶百枝灯(漢)です。

写真6は、緑釉陶猪園(漢)です。


写真7の中央左は、「寄寄老人」作陶(宋末元初)です。


写真8は、李建成墓誌です。李建成は唐高祖李淵の長男として皇太子でしたが、玄武門の変(626年)で弟李世民(後の太宗)により暗殺されます。

写真9は、菩薩像(宋)です。

次いで、2階の「天地之霊―院蔵古代玉器精品陳列」(玉器展庁)で、写真10は、玉斧・玉鏟等(龍山文化~殷)の玉器です。

写真11は、玉瑠璃杯です。

写真12は、玉飾です。


写真13は、上段が玉龍紋帯鈎(元~清)で下段が玉帯鈎です。

最後の写真14は、唐長安城模型です。

なお、フォト・アルバム「陝西・西安博物院」はhttps://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngsxoSl2UCIZDldE7QQです。また、西安博物院の公式サイトはhttp://www.xabwy.com/index.aspxです。

(2017.11.14)

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咸陽博物館―中国雑感〔32〕―

2017年11月11日 09時44分43秒 | 観光(中国)

2017年10月27日(金)午後、咸陽博物館(陝西省咸陽市中山街53号・1962年開館)を見学しました。「文廟」(明洪武4〔1371〕年創建)を保存補修して本博物館となっています。開館時間は9~17時30分(閉館月曜日・祝日開館)で、無料(旅券提示)です。西安市からの公共交通は、地下鉄1号線終点の後衛寨站下車、副21路バス(富怡花園行)の始発停留所後衛寨地鉄口站乗車、15番目の博物館站下車、学道門巷を北に約200m弱です。

最初の写真1は、前殿(第一展庁)の鳳鳥銘文銅鼎(西周)です。本展庁は秦统一六国の歴史背景で、統一までの銅器・兵器・銭幣等を展示しています。

写真2は、左が戦国餅形陳爰金幣で、右が戦国瓦形陳爰金幣です。

写真3は、正殿(臨時展示・館蔵玉器精品展)の圓雕玉辟邪(漢)です。

写真4は、豹班玉獅紐香薰(唐)です。

奥左に「楊家湾西漢兵馬俑陳列」館があり、前漢の楊家湾遺跡(高祖劉邦の長陵陪葬墓区)発掘の兵馬俑が展示されています。写真5は、本館奥展示室の騎馬俑側から見た俑列全景です。騎馬俑は6方陣からなり、甲騎(甲68cm)と軽騎(高50cm)とがあります。

写真6は、歩兵俑側から見た俑列全景です。歩兵俑は7方陣からなっています。

左右展示室には各種の個別の俑が展示されています。写真7は、指揮俑です。

写真8は、大騎馬俑です。

写真9は、歩兵の長甲俑と短衣俑です。

写真10は、歩兵の扛械俑です。なお、兵馬俑館入口の手前左側に碑廊があり、その横に馬繋ぎの栓馬柱が建っています。

写真11は、後殿の「仏教文物陳列」にある、菩薩立像(随)です。他に釈迦牟尼仏坐像(明)、弥勒菩薩等が展示されています。

最後の写真12は、「文廟」正面入口の大門(牌楼)を裏から南に学道門巷へと撮ったものです。

なお、フォト・アルバム「陝西・咸陽博物館」はhttps://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngsw4zOgMztAiWtTGEAです。咸陽博物館の公式サイトはhttp://xybwg.cn/index.aspxです。

(2017.11.11)

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五丈原(諸葛亮廟博物館)―中国雑感〔31〕―

2017年11月08日 20時01分58秒 | 観光(中国)

2017年10月27日(金)、五丈原(諸葛亮廟博物館)に行ってきました。開館時間は8~18時、入場料35元(65歳以上免除)です。当地は三国時代の蜀の丞相諸葛亮(字孔明)の第5次北伐で軍陣を構えて、死去した地です。なお、西安市・宝鶏市からの最寄り鉄道駅、祭家坡・岐山站(高速電車)からの諸葛亮廟専線バスは現在運行停止中です。従って、現時点では駅からの足はタクシーのみとなります。

最初の写真1は、「五丈原諸葛亮廟」額のある本博物館入口の山門です。

写真2は、献殿です。1799(清嘉慶4)年に建てられたもので、1940年に改修されています。5間3間構造です。左右の壁に伝岳飛筆「前・後出師表」石刻が掲げられています。この表があることは「武侯祠」に共通しています。

写真3は、献殿前の左側にある鼓楼です。1808(清嘉慶13)年に建てられたものです。反対の右側には同年に建てられた鐘楼があり、中には1534(明嘉靖13)年鋳造の鐘があります。

写真4は、八卦亭です。天井部に八卦が描かれています。清代に建てられたものです。

写真5は、正殿です。1335(元至元)年創建で、1940年に改修されています。「英名千古」額が掲げられています。

写真6は、諸葛亮坐像です。清光緒年間の雕塑で各地の「武侯祠」では最も古いものです。左右の壁側には王平像等の4人の像が置かれています。

写真7は、正殿前部にある楊儀像です。蜀軍の文臣として諸葛亮を支え、死後の撤退を成し遂げました。

写真8は、同様な姜維像です。諸葛亮の死後、軍を領導しました。2人は諸葛亮を支えた、文臣と武臣の代表です。なお、正殿の左右手前には「諸葛亮第5次北伐陳列」・「諸葛亮生前展」館があります。

写真9は、最奥の将星園右側の文臣廊の最初の蒋琬像です。諸葛亮の死後、丞相として蜀を領導しました。

写真10は、次に並ぶ費禕像です。蒋琬の後を継いで丞相となります。文臣廊には5人の像があります。

写真11は、将星園左側の武臣廊で、同じく5人がいます。最奥の張翼像です。蜀滅亡の時、劉禅降伏後に魏に反して姜維とともに殺害されます。なお、将星園の中央には落星石が、入口右側には諸葛亮衣冠塚があります。

写真12は、将星園入口の左側の月英殿(諸葛亮妻)です。左右に諸葛喬(兄諸葛瑾子・養嫡子)・諸葛瞻(蜀滅亡の時、父子ともに戦死して殉じます)が侍しています。本殿から戻ると八卦陣があります。

最後の写真13は、山門内の右手にある「三分合一槐」です。三つの枝が再び一つとなっているので、劉備・関羽・張飛の「桃園三結義」を表した槐樹とされています。

なお、フォトアルバム「陝西・五丈原(五丈原諸葛亮博物館)」はhttps://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngswR-GsNrBwzXEcybAです。

(2017.11.08)

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