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歴史と中国

成都市の西南交通大学で教鞭をとっていましたが、帰国。四川省(成都市)を中心に中国紹介記事及び日本歴史関係記事を載せます。

中山恒三郎家(松林甫)―歴史雑感〔91〕―

2024年10月31日 18時22分06秒 | 日本史(近世・近代)
2024年10月27日(日)午前、中山恒三郎家・松林甫(横浜市都筑区川和町890)を見学しました。本家は非公開で本日は年1回の公開日です。本地は江戸時代の文政年間の頃からの中山恒三郎家の邸宅です。酒類卸売業・醤油醸造業・生糸業を生業とする「中山恒三郎商店」で横浜北部の大豪商でした。邸内には菊園「松林甫(圃)」を創成しました。なお、現在は川和保育園が移転したことで建物配置が変わりました。
写真1は、店蔵(本店)で手前が諸味蔵です。
写真2は、諸味蔵内に保存されている諸道具等の一部です。

写真3は、正面からの店蔵です。

写真4は、店蔵の左前に移転された書院・松林庵です。奥が店蔵です。庵正面の築山から撮ったものです。

写真5は、庵から庭と撮ったものです。

庵室内には幾つかの中山家ゆかりの書が掲げられています。最後の写真6は、その一つで長く明治天皇の宮内大臣を務めた土佐出身の土方久元(1833~1918)です。

(2024.10.31)
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西安交通大学日語系1期生・卒業35周年同窓会(3)

2024年10月11日 16時07分55秒 | 教育
7日(月)、ホテルを10時に出て卒業生5名(山梨県の勤務先に帰るのと訪問者、前日に知人宅への、以上3名は不参加))と共に浜離宮恩賜公園に向かいます。
本公園のある地は寛永年間(1624~1644)まで将軍家の鷹狩場で、一面の芦原でした。承応3(1654)年、4代将軍家綱の弟甲府宰相綱重は将軍から海を埋め立てて別邸(甲府浜屋敷)を建てる許しを得ました。その後、綱重の子供の綱豊(家宣) が6代将軍になったのを契機に将軍家の別邸となり、浜御殿と改められました。以来、歴代将軍によって幾度かの造園・改修工事が行なわれ、11代将軍家斉の時にほぼ現在の姿の庭園が完成しました。明治維新後に皇室の離宮となり、名前も浜離宮となりました。戦災等で建物・木々等が焼失して往時の面影はなくなりました。1945年11月3日、東京都に下賜されて、翌年4月、都立の有料公園となり、1952年11月、国の特別名勝及び特別史跡に指定され、現在に至っています。
写真1は、浜離宮恩賜公園の北入口、大手門前で撮ったものです。10時40分過ぎです。
写真2は、富士見山上からレインボーブリッジを背景に。

写真3は、潮入の池越しに中島の御茶屋を背景に撮ったものです。茶屋の手前がお手伝い橋です。

写真4は、お手伝い橋上でのものです。

写真5は、茶屋横の中島橋上です。奥は松の御茶屋です。このように浜離宮には潮入の池の北側に茶屋が点々と建てられています。将軍は中島とここで茶等を楽しんだのです。12時前に公園を出て、新橋でラーメンの昼食としました。午後は自由行動とし、各自散っていきました。

夕食は18時30分からホテル近くのNSビル内の「自然物語ごだりご」で京風おでんや焼き鳥等を食しました。最後の写真6は、ここでの乾杯です。

8日(水)、10時までにチェックアウト済ませ、各自散っていき、同窓会を終えました。
(3034.20.11)
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西安交通大学日語系1期生・卒業35周年同窓会(2)

2024年10月10日 15時51分13秒 | 教育
6日(日)、顧先生は先に出発し、卒業生8名と私は10時発の送迎車で伊豆急下田駅に向かいました。次いで、10時30分発の下田ロープウェイに乗り山頂駅から散策開始です。写真1は、寝姿展望台からの下田湾です。下の船は下田湾遊覧の黒船「サスケハナ」です。

写真2は、黒船展望台での記念撮影です。
写真3は、下りは市街地側を通り、展望台でのものです。その後、山頂駅の喫茶室で過ごし、11時45分発で下りました。

道の駅開港下田みなとの「地魚回転寿司魚どんや」で昼食としました。写真4は、食事後に皿を積み重ねて撮ったものです。

写真5は、13時20分発の黒船「サスケハナ」に乗船前に皆さんを撮ったものです。

写真6は、湾内を飛ぶ鷗です。

写真7は、犬走島です。右に湾内灯台が見えます。奥の白い船は海上保安庁のものです。

写真8は、船内でスマホで記念撮影をする卒業生です。立ち替わり撮りました。

駅に戻り、14時34分発の踊り子60号で出発し、17時12分に品川駅で下車し、山手線経由で新宿に戻り、京王プレッソイン新宿に18時頃にチェックインしました。夕食は、西新宿の焼肉清香苑別館で行いました。写真9は、最初の19時前の乾杯です。

最後の写真10は、20時頃の乾杯です。その後お開きとしてホテルに戻りましたが、卒業生によってはカラオケに繰り出しました。

(2024.10.10)
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西安交通大学日語系1期生・卒業35周年同窓会(1)

2024年10月09日 21時51分16秒 | 教育
2024年10月4日(金)~8日(火)の5日間、日本で西安交通大学日語系1期生の卒業35周年同窓会を行ないました。1期生は1985年に入学し89年に卒業した14名(女子9名・男子5名)から8名(中国から6名、日本から2名)、それに日語系創立の胡明耀先生と娘さん、それに私の11名が参集しました。
4日(金)は夜までに西新宿の京王プレッソイン新宿にチェックインし、卒業生6名が集合しました。
5日(土)は10時にホテルを出、東京駅に向かいました。写真1は、出発の際のホテル前のです。

当駅構内で各自が「駅弁屋祭」で駅弁を購入し、ホームで乗車する11時30分発踊り子61号前で撮ったのが、写真2です。卒業生8人が揃いました。

写真3は、皆さんの買われた駅弁の一部です。

伊豆急下田駅に14時17分に着き、顧先生と合流して、14時30分発のホテル送迎車で本日の宿舎の下田大和館に着きました。写真4は、送迎ホテル前でのものです。同窓会参加者10名です。

写真5は、ホテルから直接出られる南に広がる多々戸浜海岸に下り、流木に腰掛けて撮ったものです。ここはサーフィンの場で写真のようにサーファーが楽しんでいます。

写真6は、波に浸かっている卒業生達です。中国では海に親しむ機会は少ないので、白い砂浜が綺麗な海岸として知られている多々戸浜を見下ろせるホテルを選んで宿泊地としたのです。それに温泉露天風呂付和室を選び、温泉も愉しみました。

写真7は、19時30分からの夕食の磯会席で、写真には鮑と伊勢エビがあります。料理は基本的に海産物で、伊豆半島産の金目鯛に煮付けが最後です。

最後の写真8は、もう一のテーブルのです。席の関係で6人のテーブルと5人のテーブルに分かれました。食事後、部屋に戻り更にアルコールを飲みましたし、朝の露天風呂も楽しみました。

(2024.10.09)
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