関ヶ原合戦により、常陸国水戸城より出羽国へ減転封された佐竹義宣は、1603年(慶長8)5月、旭川に東面する明山に築城をはじめ、翌年8月に完成させます。これが久保田城(秋田城)です。平山城で、東南角に大手門があり、基本的に三の丸・二の丸・本丸・北の丸・西曲輪から構成されて、二の丸・本丸は千秋公園として市民の憩いの場となっています。2016年1月21日(木)、秋田市に寄ったおり、本城を訪れました。そこで、雪で覆われた久保田城の写真を少しばかり紹介します。
写真1は、大手門跡近くから西へ見た大手堀です。奥に見える中土橋橋跡を渡り北進すると、内堀にかかる唐金橋跡を過ぎ、右に緩い坂を上り松下門跡から二の丸に入ります。
写真2は、本丸の東側に位置する二の丸から緩い長坂を上ったところにある長坂門(二ノ門)跡です。奥に見えるのは表門です。写真に見えますが、本城は、土塁の押さえとしての石垣以外、この築城時代には一般化した防御施設としての石垣がないのが特徴です。それに天守閣も設けられていませんでした。
写真3は、その復元された表門(一ノ門)で、門前の右横には御物頭御番所(唯一現存する建物)があります。
写真4は、本丸です。中央奥にあるのが最後の藩主第14代佐竹義堯銅像です。
最後の写真5は、は、本丸北土塁にある帯曲輪門跡です。帯曲輪は本丸の北から西・南側にかけて巻いて設けられています。
なお、フォトアルバム「冬の久保田城」はhttps://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngpkQCmxrsEjR_SZ8Ngです。
(2016.01.24)