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歴史と中国

成都市の西南交通大学で教鞭をとっていましたが、帰国。四川省(成都市)を中心に中国紹介記事及び日本歴史関係記事を載せます。

橘樹郡衙遺跡と影向寺―歴史雑感〔94〕―

2025年03月26日 16時46分48秒 | 日本史(古代・中世)
2025年3月22日(土)午後、武蔵野文化協会主催の「国史跡橘樹郡衙遺跡と影向寺を巡る」に参加しました。JR南部線武蔵新城駅に集合し、まずバスで影向寺に向かいます。
写真1は、影向寺薬師堂(川崎市宮前区川本町3-4-4)です。本寺は古刹として知られ、本寺及び周辺の発掘調査で古代寺院遺構(奈良時代)等が確認されました。古代寺院遺構・関連遺構を影向寺遺跡と呼称しています。

写真2は、古代寺院の三重塔心礎とされ本寺の霊石として信仰されてきた影向石です。中央の穴に仏舎利が収められていたとされています。

写真3は、本寺本尊の木造薬師如来坐像及両脇侍立像(重要文化財)です。一木造の彫眼で11世紀後半制作です。以前は薬師堂内にありましたが、保護のため別堂に収められいます。他に木造十二神将立像十二体(南北朝時代)が眷属として侍立しています。

写真4は、木造薬師如来坐像です。

次いで、東に千年伊勢山台遺跡・橘樹郡衙遺跡ヘと移動しました。ここは西から東へと橘樹郡家舘・橘樹郡郡庁・橘樹郡正倉院のおよそ3か所からなり、正倉院遺跡が橘樹歴史公園となっています。写真5は、復元された郡衙正倉です。

写真6は、同じく位置を変えて撮った正倉です。

写真7は、正倉内部から見た天井です。

次いで、中原街道を南に越えます。写真8は、子母口富士見台古墳です。直径約17.5m、高約3.7mで、当初はより大きかった円墳と想像されます。方形と思われる段が上に被さっています。

写真9は、子母口貝塚です。8100年前の地層から貝類・子母口式土器が出土しており、更に下の地層からも撚糸文系土器が出土しています。

最後の写真10は、橘樹神社社殿です。橘樹郡総社であり、日本武尊妃弟橘媛伝承の由来がある古社です。

(2025.03.26)
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2025年小田原城の梅

2025年03月04日 16時09分48秒 | 観光(日本)
2025年2月27日(木)午後、下田からの帰り、今年は梅の開花が遅れていましたが、小田原城の梅情報を知り観梅に行きました。これをご覧に入れます。

写真1は、二の丸歴史見聞館前の梅です。

写真2は、白梅の拡大したものです。

写真3は、紅梅の拡大したものです。

写真4は、二の丸東堀下の梅で、後方が銅門です。

写真5は、白梅です。

写真6は、常盤木門を背景とした白梅です。

写真7は、常盤木門を背景とした紅梅です。

写真8は、常盤木門を背景とした白梅です。

写真9は、ぼかした常盤木門を背景として白梅です。

写真10は、拡大した白梅です。

最後の写真11は、拡大した紅梅です。

(2025.03.04)
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下田城―歴史雑感〔93〕―

2025年03月03日 16時53分14秒 | 日本史(古代・中世)
2025年2月27日(木)午前、後北条氏の下田城遺址を訪れました。後北条氏が対豊臣戦を覚悟して、水軍の拠点である下田港防衛のために、天正16(1588)年に下田城は新規といえるほどの大改修がなされたと推測されます。本城は、最高地点に位置する伝天守台(標高68.7m)を各曲輪の結節点として、北に延びる曲輪と東の二の曲輪の尾根状曲輪の南側下に障子堀である横堀(空堀)を構え、南に対する主防御線として、また海際に物見台を構え港への船の出入りを見張らせ、この防御線北側の下に現在の開国広場に広い曲輪(居住地)を抱えた構造となっています。
写真1は、稻生沢川にかかるみなと橋からの下田城遠景です。

写真2は、左が下田城石碑、右が下田公園碑です。

写真3は、伝天守台から北に延びる曲輪北端の物見台からの俯瞰です。左に稻生沢川、右に下田港で、奥に寝姿山です。

写真4は、奥に物見台跡です。

写真5は、伝天守台近くからの下に空堀跡です。

写真6は、伝天守台跡で、奥(北)は下田湾です。但し、実際に天守があったわけではなく、各曲輪の結節点としての指揮所があったところとされています。

写真7は、伝天守台への登り道です。

写真8は、伝天守台の東に延びる二の曲輪からさらに南に行ったところのお茶ヶ崎展望台(物見台跡)からの下田湾です。港に出入りする船は一望です。

写真9は、展望台から奥に大浦です。

写真10は、左に二の曲輪、右に天守台間の切通しです。ただ、道路を通すためかなり拡張されています。

写真11は、二の曲輪下の空堀です。

写真12は、伝天守台下の空堀です。

写真13は、切通しと空堀です。伝天守台の比高が約10mであることが分かります。

写真14は、伝天守台下の空堀を西から見たもので、堀が障子堀であった跡が堀を横断した高みで確認できます。

写真15は、萩の丘(志太ヶ浦展望台の先)です。

写真16は、萩の丘からの大浦です。

写真17は、馬場ヶ崎展望台(物見台跡)です。

最後の写真18は、馬場ヶ崎展望台からの下田港です。

(2025.03.03)


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