goo blog サービス終了のお知らせ 

歴史と中国

成都市の西南交通大学で教鞭をとっていましたが、帰国。四川省(成都市)を中心に中国紹介記事及び日本歴史関係記事を載せます。

横浜市馬場花木園の梅

2017年02月25日 20時33分50秒 | 

2017年2月24日(金)午前、横浜市馬場花木園(横浜市鶴見区馬場2−20−1)の梅を見に行きました。それほどの本数はありませんが、梅園となっています。最寄りのバス停は、横浜市営バスの西寺尾建功寺前(38系統横浜駅西口・鶴見駅西口、41系統新横浜駅前・鶴見駅西口)と隣接した臨港バスの東高校入口(鶴01系統菊名駅前・鶴見駅西口)で、徒歩約8分です。

以下に梅の写真をお見せします。

 

横浜市馬場花木園の公式サイトはhttp://www.hama-midorinokyokai.or.jp/park/babakabokuen/です。

(2017.02.25)




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白河小峰城―歴史雑感〔30〕―

2017年02月21日 19時46分49秒 | 日本史(近世・近代)

2017年2月17日(金)、白河小峰城に行ってきました。本城は14世紀中期(南北時代)に結城親朝が築城したと伝えています。現在の城址は、江戸時代に入り、1627年(寛永4)に白河藩初代藩主となった丹羽長重が1632年(寛永9)まで約4年を費やし大改修したものです。本丸・竹之丸・二之丸・三之丸と梯郭式平山城となっています。本丸・竹之丸・二之丸を中心とした16万3千㎡が史跡となっています。三之丸は現JR東北本線白河駅の南まで広がっていました。城全域は約54万㎡と推定されます。戊辰戦争では奥羽越列藩同盟軍が本城を拠点として新政府軍と戦い、多くの建物を焼失させました。1991年(平成3)に三重櫓、1994年(同6)に御前門を木造で復元再建しました。二之丸の南に隣接して、JR東北本線白河駅があります。なお、城山公園(白峰城)南口から入ると、西側に白河集古苑があり、「白河結城古文書館」と「阿部家名品館」からなっています。開館時間は9時~16時(月曜休館日)・入館料320円です。

写真1は、二之丸からの本丸・竹之丸の望見です。

写真2は、東北大震災で崩壊した竹之丸石垣の修復工事中の様子です。石垣を組み直すため、目印の札を石に付しています。

写真3は、本丸の裏門に当たる竹之丸からの桜門への道です。

写真4は、本丸です。奥に復元された三重櫓と御前門が見えています。

写真5は、本丸正門の御前門です。

写真6は、3層3階の三重櫓で手前左にはおとめ桜があります。

最後の写真7は、三重櫓二層内部です。本櫓は「白河城御櫓絵図」と発掘調査に基づき、ご覧のように木造で忠実に復元されました。復元用材には近くの戊辰戦争激戦地の松波稲荷山の杉の木も用いられており、この中は弾痕跡のあるのもあります。

なおフォトアルバム「白河白峰城」はhttps://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngshQlrQ16x_cq1lYyAです。

(2017.02.21)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大塚・歳勝土遺跡―歴史雑感〔29〕―

2017年02月12日 19時20分07秒 | 考古

2017年2月10日(金)、大塚・歳勝土遺跡公園に行ってきました。本公園は、弥生時代中期の環濠集落遺跡である大塚遺跡と方形周溝墓の歳勝土遺跡を含んで、これらを保存するためにも一帯を横浜市が公園化したものです。最寄り駅は横浜市営地下鉄ブルーラインのセンター北駅で東に徒歩約8分です。道路を挟んで西に横浜市立歴史博物館があります。本遺跡遺物も展示されています。

本公園は南北を谷に挟まれた東西に広がる丘陵上にあります。公園入口から北に竹林を上がっていくと地形模型のある広場に出て、「国指定史跡 大塚・歳勝土遺跡」の石柱が立っています。この左手(西側)に大塚遺跡があります。写真1は、本遺跡入口です。開園時間は9時~17時(休園日 月曜日〔祝日の場合は翌日〕、年末年始)です。

写真2は、環濠集落本来の入口に当たり、遺構から堀上に木橋(材質ナラ)が架けられていたのを復元したものです。木柵・土塁は空堀(最大で幅4.5m・深さ2.5m)の外側にあります。遺跡全体の東側約1/3が保存保護されて、この保護部分全周250mを柵・土塁・空堀が囲んでいます。

写真3は、復元された住居です。7棟が復元展示されています。入母屋造りで主柱は檜で屋根は茅です。この他、住居址20棟が保存されてその位置を石で囲んでいます。遺跡全体は約1.5mの盛土で保存されています。

写真4は、発掘調査時の住居跡を再生したものです。遺跡のほぼ中央にあるY-17号住居址で2回建て直されたと考えられています。特殊加工のガラス繊維強化樹脂セメントで再生しており、中に入れます。

写真5は、復元した高床倉庫です。柱に円形状に付けられた板はネズミ返しです。また、入口へは厚板・丸木に足掛けを刻んだ一本梯子で上ります。

大塚遺跡を出て、南に少し行くと、歳勝土遺跡です。本遺跡は大塚遺跡の住民の墓地と考えられています。写真6は、方形周溝墓の埋葬内部を復元したものです。中央に穴があり、ここに棺が納めれていたと考えられます。

最後の写真7は、盛土上に復元した埋葬当時の方形周溝墓です。3基が復元されています。右側には墓の位置を石で囲って保存しています。

(2017.02.12)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする