2018年9月に次の拙著を出版しましたので、お知らせします。
『鎌倉幕府成立期の東国武士団』2018年9月岩田書院(定価9400円+消費税)415頁
第一章 甲斐源氏
第一節 甲斐源氏の蜂起
序言
一、波志太山合戦から見る甲斐源氏の蜂起
二、甲斐源氏と源頼朝との関係
終言
第二節 治承五年閏二月後白河院庁下文と「武田殿」源信義 11
序言
一、『吾妻鏡』養和元年三月八日条
二、『玉葉』に見たる後白河院殿上公卿僉議
三、『平家物語』に見る後白河院庁下文
四、『吾妻鏡』に於ける諸源氏記事の誤謬・作為
終言
第三節 甲斐源氏棟梁一条忠頼鎌倉営中謀殺の史的意義
序言
一、第一次源軍入洛と甲斐源氏
二、第二次源軍入洛と一条忠頼
三、一条忠頼の鎌倉営中謀殺
終言
付論 武田信義没年に関する五味文彦氏説に反駁
第二章 信濃源氏
第一節 治承・寿永の内乱に於ける信濃国武士団と源家棟梁
一、はじめに
一、信濃国に於ける源家棟梁とその地域性
二、信濃国に於ける反乱蜂起と木曾義仲
三、越後国城氏と横田河原合戦への道
四、横田河原合戦
イ、城氏の信濃国侵入とその軍事編成
ロ、横田河原合戦に於ける「木曾党」・「佐久党」・「武田之党」
ハ、井上氏と横田河原合戦の勝利
六、終言
第二節 寿永二年春の源頼朝と木曽義仲との衝突
序言
一、『延慶本平家物語』の語る経緯
二、信濃源氏・甲斐源氏・源頼朝の関係
三、頼朝と義仲の衝突の経緯とその要因
終言
第三節 木曽殿源義仲の伊予守遷任の史的意義
一、義仲の伊予守遷任
二、伊予守の意義
三、義仲・朝廷にとっての伊予守
第三章 源範頼
第一節 平家追討使源範頼の九州侵攻
序言
一、源頼朝の対平家戦略
二、源範頼軍の豊後国渡海
三、「芦屋浦」合戦
四、平家の九州支配の覆滅
終言
第二節 三河守源範頼の九州進駐の史的意義
一、源範頼軍政の成立と源義経
二、鎮西沙汰七ヶ条と対馬前司親光帰国
三、範頼帰還令と頼朝・義経対決
四、範頼軍政の終結
第三節 蒲殿源範頼三河守補任と関東御分国
一、源範頼の三河守補任と関東御分国
二、治承寿永内乱前期の三河国と新宮殿源行家
三、蒲殿源範頼三河守補任の前提と甲斐源氏
第四章 諸源氏と門葉
第一節 寿永二年八月勧賞源氏諸将任国守の史的意義
第二節 近江源氏山本義経
一、治承・寿永の内乱以前
二、治承・寿永の内乱前期
三、木曽殿源義仲と山本義経
第三節 治承・文治大乱に於ける佐竹源氏
序言
一、治承・寿永内乱
二、奥州兵乱
終言
第四節 「奥州合戦」に於ける鎌倉幕府軍の構成
序言
一、東山道軍の交名一覧
二、交名の国別構成
三、交名の門葉構成
四、交名の武士御家人構成
終言
付章 武蔵武士足立氏
第一節 鎌倉幕府成立期に於ける武蔵国々衙支配をめぐる公文所寄人足立右馬允遠元の史的意義
序言
一、足立遠元をめぐる系譜
二、足立氏と比企氏
三、武蔵国に於ける足立氏
四、武蔵国々衙支配をめぐる比企ファミリー
五、公文所寄人の史的意義
結語
第二節 武蔵武士足立氏の系譜再論
序言
一、『尊卑分脉』にみる足立氏
二、「足立系図」にみる足立氏
三、治承・寿永の内乱当初に於ける遠元
四、『吾妻鏡』にみる遠元・盛長関係
終言
第三節 武蔵武士足立遠元
一、遠元の系譜
二、平治の乱に於ける遠元
三、治承・寿永の内乱に於ける遠元
四、文治元年十月の勝長寿院落慶供養行列に於ける遠元の序列
五、頼朝期に於ける遠元(上)―「宿老」―
六、頼朝期に於ける遠元(中)―奥州合戦と第一次建久上洛―
七、頼朝期に於ける遠元(下)―第二次建久上洛―
八、頼家・実朝期に於ける遠元
第四節 遠元以降の足立氏系譜
一、『吾妻鏡』に見る足立氏
二、「六条八幡宮造営注文」に見る足立氏
三、霜月騒動後の足立氏
四、南北朝期の足立氏
第五節 鎌倉期に於ける武蔵国足立郡の武士
第六節 二俣川合戦に見たる安達氏主従
序言
一、武蔵国の家人
二、上野国の家人
三、家人野田氏
終言
(2018,09,08)