永福寺遺址(神奈川県鎌倉市二階堂178)は、1983~1997年にかけての発掘調査により全貌が判明し、その後復元整備が行なわれ、本年6月公開となりました。開門時間は9~17時(11月~3月までは16時30分)です。JR鎌倉駅から鎌倉宮行バスで終点の鎌倉宮下車、徒歩約5分(瑞泉寺へ)です。
永福寺は、文治5年(1189)の奥州合戦で奥州平泉藤原氏を滅亡させた源賴朝が平泉の二階大堂等を見て驚愕して、本合戦での死者鎮魂のため、創建した寺院です。同年12月に建立を決定し、建久3年(1192)11月25日に二階堂の落慶供養、翌4年(1193)11月27日に阿弥陀堂落慶供養、翌々5年(1194)12月26日に薬師堂落慶供養、と三つの御堂が完成しました。
発掘調査で二階堂・阿弥陀堂・薬師堂の3御堂の他、複廊・翼廊・釣殿・橋・池等の配置・規模が明らかになりました。2007年から鎌倉市は永福寺遺址の復元整備事業を行ないました。建物遺址の上に60cmの盛土をして保護するとともに、御堂の基壇を同じ木で復元し、同時に建物の礎石を配置しました。木・石は発掘で出土したものと同一素材を使用しています。池は30cm嵩上げして復元しています。ただ、本来の池は東と南により広がっていましたが、敷地等の関係で現在規模となっています。
写真1は、発掘調査による永福寺復元図です。南から南翼廊・南中門・釣殿、阿弥陀堂、南複廊、二階堂、北複廊、薬師堂、北翼廊・北中門・釣殿の建物群、この北に谷からの水取り入れの遣水、建物群に東面して広がる池、池の南端中に岩を組み合わせた中島、池の中央に二階堂に対面して橋となっています。

写真2は、阿弥陀堂を南から見たものです。御覧のように基壇が復元されています。奥には二階堂の基壇が見えます

写真3は、西南側から見た二階堂の基壇です。手前が南複廊です。

写真4は、西正面の基壇上から見た二階堂です。

写真5は、南東角から見た薬師堂の基壇です。

写真6は、北の釣殿上から見た池と二階堂等の基壇です。二階堂と対面して池には橋の基盤が見えます。

写真7は、奥から見た全景です。

最後の写真8は、南側の池越しに見た全景です。

以上、2017年8月23日(水)午前のものです。なお、鎌倉市の本遺址に関しての案内は、
https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/treasury/yohukuji_cg.html
で、リンク先には永福寺跡復元CG等があります。また、フォトアルバム「鎌倉永福寺遺址」はhttps://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngsssy4LVEWqlu-28JQです。
(2017.08.25)