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歴史と中国

成都市の西南交通大学で教鞭をとっていましたが、帰国。四川省(成都市)を中心に中国紹介記事及び日本歴史関係記事を載せます。

2021年鶴見川の紅桜

2021年03月22日 15時15分10秒 | 観光(日本)

新横浜付近での鶴見川と鳥山川との合流点上流の鳥山川土手には桜並木があります。新横浜元石川線のワールドカップ大橋左右には合流点近くのソメイヨシノとは別に少し早咲きの紅桜があります。この紅桜の写真をお見せします(2021年3月20日・土午後撮影)。

(2021.03.22)

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大仏切通し―歴史雑感〔63〕―

2021年03月04日 19時42分14秒 | 日本史(古代・中世)

2021年2月21日(日)午後、北条氏常磐亭跡に続き、大仏切通しを訪れました。本切通の建設年時は明確な史料が残されておず不明ですが、鎌倉中期と考えられています。本切通しは、鎌倉の大仏谷戸から梶原を経て、鎌倉上つ道へと通じています。

北条氏常磐亭跡から西へと少し歩き、仲ノ坂交差点で左折して上っていくと、世界救世教いづのめ教団鎌倉教会のある小道へと右に入り進むと、左が高徳院(大仏)、右が火の見下の道標識のある大仏切通しに出ます。写真1は、ここらから少しのところで火の見下へと切通し道を撮ったものです。尾根伝いの道となっています。

写真2は、さらに進んで、左へと急な下りとなるところを捉えて撮ったものです。

写真3は、尾根を堀切って切通しとしたところです。

写真4は、次の切通しです。先は急な下りとなっており、ここで上ってくる兵を上から攻撃できます。

写真5は、切通しが右へと曲がり、下って平場に出ます。

最後の写真6は、平場の崖に設けられたヤグラです。鎌倉は平地が少なく、岩肌を削って墳墓としたのがヤグラです。さらに道なりに進むと道路でて、火の見下バス停です。

(2021.03.04)

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北条氏常磐亭跡―歴史雑感〔62〕―

2021年03月02日 14時26分38秒 | 日本史(古代・中世)

2021年2月21日(日)午後、鎌倉市常磐の北条氏常磐亭跡を訪れました。1977年の発掘調査で、建物跡等が確認されて、1978年12月に国指定史跡になりました。本地は、「相州常磐御亭において和歌会あり」(『吾妻鏡』3年2月8日条)、とあるように、相州、すなわち当時の連署北条政村の別邸と考えることができます。鎌倉駅西口から京急バス鎌倉中央公園行・江ノ電バス桔梗山行きで一向同下車、前方へと道路北側です。

写真1は、道路側から北に北条氏常磐亭跡を見たものです。さらにこの奥へと跡地は続きます。

写真2は、東側の「タチンダイ」への道上からの跡地です。

写真3は、「タチンダイ」への案内表示です。

写真4は、本地の最奥「タチンダイ」入口から奥を見たところです。「タイチダイ」とは館台(たちのだい)の訛りでしょう。このように、北条氏常磐亭跡は段々と平場を造成したものです。

写真5は、「タチンダイ」奥から南へと見たものです。

最後の写真6は、「タチンダイ」奥にあるヤグラと呼ばれる岩窟です。

(2021.03.02)

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