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歴史と中国

成都市の西南交通大学で教鞭をとっていましたが、帰国。四川省(成都市)を中心に中国紹介記事及び日本歴史関係記事を載せます。

2019年9月27日九寨溝観光再度一部再開―四川雑感〔28〕―

2019年09月27日 21時49分30秒 | 観光(四川)

九寨溝風景区は、2017年8月8日、九寨溝地震で池崩壊等の重大な損傷を受けて、即日閉鎖されました。復旧工事により、2018年3月8日、観光が部分再開されました。しかし、同年6月25日夜の豪雨により、再度損傷を受け、再度閉鎖となりました。このため、景区内の道路の全面改修等、全面的な復旧工事を行なってきました。この結果、2019年9月27日、再度一部観光を再開しました。これは九寨溝管理局が2019年9月23日に「九寨沟景区关于部分区域恢复开放(试运行)的公告 」で公示されたものです。公示全文は、

https://www.jiuzhai.com/news/notice/6743-2019-09-23-10-38-38

です。公示内容の概要は、

1.開放区域
如溝の的扎如寺、樹正溝(火花海を除く)、日則溝(諾日朗瀑布から五花海まで)、則查洼溝。

2.開放時間と遊覧方法
每日8時30分~17時。
遊覧は観光車による統一遊覧。すなわち、乗車した観光車で戻り、景観点毎に下車遊覧して、もとの観光車に戻ります。いわば、観光車毎の即席ツァーとなります。

3.観光客数制限と接待単位
上限日5千人。
旅行社のツァー客のみで、個人客は不可。この旅行社は成都市の旅行社になるでしょう。

4.入場料
旺季(4月1日至11月15日)入場料169元、観光車90元,淡季(11月16日至次年3月31日)入場料80元/人、観光車80元/人。購入には各人毎に外国人は旅券が必要(実名制)。

なお、現時点では個人客をは不可ですが、将来可能になった場合、入場券購入方法はネットからなる見込みです。

再開当日の様子は九寨溝管理局の写真付記事、

https://www.jiuzhai.com/news/scenic-news/6749-2019-09-27-08-00-59

をご覧ください。本日のツァー団体135、観光客3152人、出動観光車70台です。写真には長海・五花海の様子が見えます。

(2019.09.27)


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さきたま風土記の丘・下―歴史雑感〔50〕―

2019年09月16日 17時01分01秒 | 日本史(古代・中世)

7日(土)午後はさきたま古墳公園見学です。本公園は埼玉古墳群を保存整備したものです。まず、埼玉県立さいたま史跡の博物館(埼玉県行田市大字埼玉4834 入館料200円・開館時間9~16時30分・休館日月曜日等)見学です。

写真1は、稲毛山古墳出土太刀です。国宝金錯銘鉄剣は撮影不可のため載せられませんが。

写真2は、動物埴輪です。この他、各古墳から出土した武具・馬具・各種埴輪・土器・鏡等が展示されています。

次いで、古墳巡りです。写真3は、瓦塚古墳です。長方形の二重環濠を持つ、墳丘全長73mの前方後円墳で、6世紀前半の築造と推定されています。

写真4は、愛宕山古墳です。長方形の二重環濠を持つ、本古墳群で最小の墳丘全長53mの前方後円墳で、6世紀前半の築造と推定されています。

写真5は、丸墓山古墳です。直径105mの日本最大の円墳です。髙18.9mで古墳群中最高で、6世紀前半の築造と推定されています。

写真6は、丸墓山古墳からの、左が稲毛山古墳、右が将軍山古墳です。両古墳とも墳丘が復原されています。

写真7は、後円部から見た稲毛山古墳です。長方形の二重環濠を持つ、墳丘全長109mの前方後円墳で、5世紀後半の築造と推定されています。

本古墳の後円部の埋葬施設の一つ、礫槨から国宝金錯銘鉄剣等の副葬品が出土されました。写真8は、礫槨を表示したものです。

写真9は、将軍山古墳です。長方形の二重環濠を持つ、墳丘全長90mの前方後円墳で、6世紀後半の築造と推定されています。本古墳の横穴式石室は復原されて、将軍山古墳展示館として見学できます。また写真に見るように、土取で破壊された墳丘も復原されて、往時のように円筒埴輪も並べています。以上で古墳群の写真は終りですが、本古墳の南には武蔵国最大の墳丘全長138mの前方後円墳の双子山古墳があります。

最後の訪問地は前玉神社(埼玉県行田市埼玉宮前5450)です。社殿は直径約50m・髙8.7mの円墳である浅間塚古墳上にあります。本古墳は周壕を持ち、埼玉古墳群では最終期の7世紀前半の修造と推定されています。最後の写真10は、上る参道から社殿を見たものです。

なお、フォトアルバム「さきたま風土記の丘」はhttps://1drv.ms/u/s!AruGzfkJTqxng5o8sjiMR80M1YhAYA?e=PKa1VLです。

(2019.09.16)

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さきたま風土記の丘・上―歴史雑感〔49〕―

2019年09月12日 20時01分53秒 | 日本史(古代・中世)

2019年9月7日(土)、武蔵野文化協会・国宝史蹟研究会共催の「武蔵野古代ロマン・さきたま風土記の丘をめぐる」で、埼玉県の史跡を巡りました。9時にJR桶川駅に集合して、見学開始です。

最初の見学地は観福寺(埼玉県行田市南河原1500-1)の国指定史跡「南河原石塔婆」です。一谷合戦での生田口先駆けで戦死したと『平家物語』で語られている私市党河原太郎次郎兄弟の供養板碑との伝承を持つ、2基の板碑が国指定となって、本寺の山門左横にある覆屋に保存管理されています。写真1は、左側の文応2年2月銘の板碑です。来迎印を結ぶ阿弥陀如来が左右に観音・勢至菩薩を従えた阿弥陀三尊像が線刻されています。台上高236cm・幅65cm・厚9cmです。

写真2は、右側の文永2年(1265)2月銘の板碑です。脇侍を従えた地蔵菩薩が線刻されています。台上高187cm・幅58cm・厚6.5cmです。

次いで、行田市藤原町の富士見工業団地内の八幡山公園一角を占める八幡山古墳(同町1-26-12)です。若小玉古墳群の一角にある本古墳は7世紀前半の築造と推定されており、かつては墳丘で覆われていましたが、1934年の小針沼干拓で墳丘が崩されて石室が露出しました。1977~9年にかけて石室の復原がなされて現在に至っています。本古墳は発掘調査により本来は直径80mの円墳で、周溝は存在しないと考えられています。写真3は、右側から見た本古墳で、石室が露出していることがお分かりでしょう。扉が開いているように、石室内は見学ができ、公開時間は10~6時(土・日・祝日)です。

写真4は、左から見た本古墳です。

石室は羨道・前室・中室・奥室からなっており、推定全長16.7m(現存長約14.7m)、奥室横幅4.8mの横穴式です。写真5は、羨道から見た前室です。奥へと中室・奥室となっています。

写真6は、逆に奥室から中室・前室を見たものです。

午前中の最後の見学地は忍城跡です。忍城は戦国期に成田氏により築かれたもので、小田原攻めの時に水攻めを受け、後北条氏降伏後に開城したことで知られています。その後、修復されて江戸時代には譜代の居城となりました。写真7は、再建された御三階櫓です。行田市郷土博物館(行田市本丸17-23 入館料200円・9~16時30分・休館日月曜日等)から渡り廊下で中に入れます。

最後の写真8は、鐘楼です。

なお、フォトアルバム「さきたま風土記の丘」はhttps://1drv.ms/u/s!AruGzfkJTqxng5o8sjiMR80M1YhAYA?e=PKa1VLです。

(2019.09.12)

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