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歴史と中国

成都市の西南交通大学で教鞭をとっていましたが、帰国。四川省(成都市)を中心に中国紹介記事及び日本歴史関係記事を載せます。

河津桜2021

2021年02月27日 15時04分17秒 | 観光(日本)

2021年2月20日(土)午前、河津町の河津川土手の川津桜を観賞しました。そこで、この写真をお見せします。

最初の写真1は、上りの踊り子4号が河津川鉄橋を通過するところです。

写真2~4は、河津川右岸の川津桜です。

写真5は、上りの伊豆急リゾート21です。

写真6・7は、アップした河津桜です。

最後の写真8は、河津川河口への河津桜です。

なお、フォトアルバム「河津町・河津桜2021」はhttps://1drv.ms/u/s!AruGzfkJTqxng7wKSbukAYzbUcIBVQ?e=qpO1E0です。

(2021.02.27)

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伊豆下田

2021年02月25日 15時37分08秒 | 観光(日本)

2021年2月19日(金)午後、下田市のホテルにチェックインする前に、ホテル近くの観光地を巡りました。

 

最初は玉泉寺です。幕末に米領事館となったところです。写真1は、山門です。

写真2は、間口7間半・奥行き7間の本堂です。嘉永6年(1848)創建で、安政3年(1856)8月から安政6年(1859)5月まで、最初の米国総領事館としてタウンセンド・ハリスが駐在しました。

写真3は、英文のハリス記念碑です。1927年(昭和2)に本年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公子爵渋沢栄一等が建立しました。

次いで弁天島へと移動しました。写真4は、弁天島斜交層理です。斜めに交差する縞模様の地層は斜交層理と呼ばれ、地層が右下へと斜交していることから、海流の向きが左から右へとなっていたことが分かります。

写真5は、弁天島に隣接した公園内に設置された「踏海の朝」像です。嘉永7年(1854)3月27日の夜、吉田松陰は弟子金子重輔と共に海外の事情を探るべく渡航を企て、弁天島から小舟を漕ぎだし米艦ポーハタン号に向かいましたが、ペリーに拒否され目的を果たせませんでした。これを記念して、1989年「ふるさと創生事業」により建立されたものです。

写真6は、翌朝、宿泊した下田ベイクロシオの客室ベランダ上から俯瞰した下田湾口から西側です。

最後の写真7は、同じく下田湾東側で、弁天島が見えます。

(2021.02.25

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ソフィール踊り子1号

2021年02月23日 14時37分38秒 | 観光(日本)

2021年2月19日、ソフィール踊り子1号に乗車してきました。横浜発11時24分発・伊豆急下田13時29分着でした。この乗車中の写真をお見せします。

写真1は、プレミアグリンの1B座席です。伊東を過ぎて撮ったもので、緊急事態宣言下ですが、ほぼ満席でした。

写真2は、川奈駅での運転台を通した前方風景です。入線してきたのは上りの踊り子8号です。

写真3は、伊豆高原駅を出て少し行ったところから撮った大島です。

写真4は、海岸線に沿って走る片瀬白田・伊豆稲取間での運転台越しの前景です。

写真5は、同区間での大島です。

写真6は、続いて左から利島、鵜渡根島、新島、神津島です。

写真7は、河津駅を出て運転台越しに前方に川津桜を捉えたものです。

写真8は、河津川の河口寄りの川津桜です。

最後の写真9は、伊豆急下田駅でのソフィール踊り子1号の先頭車両です。

(2021.02.23)

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