草津温泉の帰りには、日本百名城、高崎の箕輪(みのわ)城へ。JR高崎駅からバスで約30分、箕輪支所手前のバス停で降りる。この高崎市箕輪支所に、百名城のスタンプがあるそうだ。休日だったので、裏口でスタンプを押す。係員の方からパンフレットを沢山戴く。そして徒歩で、城跡へ。
平山城なんだが、入口がよくわからない。看板が剥げてしまって見えないのだ。城山入口と読める場所まで歩いて行く。この場所の看板も剥げてしまっていてよくわからない。ちょうど出会った散歩と思しきおじいさんに親切に行き方を教えてもらって、登り始める。熊注意だって、まるで登山に来たようだ。
しばらく歩いて、郭馬出西虎口門(かくうまだし にしこぐちもん)に到着。この門は平成28年に復元した新しい門だ。そばには、大堀切、郭馬出がある。馬出とは、今でいう駐車場だ。敵に見つからないように馬を出す場所だ。
二の丸から本丸へ。二の丸、本丸とも広い空き地、本丸跡には、石碑が立ってる。この石碑がスタンプのデザインになってる。休日なんだが、人はほとんどいない。
本丸入り口には、箱が置いてあって、箱の中には、スタンプの押した小さな紙が何枚もある。以前は、この場所に百名城スタンプがあったが、無人、紛失してしまうこともあったそうだ。そこでスタンプは支所の裏口に移動し、スタンプを押した紙が置いてある。この紙を張るとスタンプ帳は有効だそうだ。
さて、このお城のいわれ、西暦1500年頃、長野氏が築城した。そしてあの甲斐の武田との戦いに敗れ、落城。その後、長篠の戦で信長が勝利、信長の家来、滝川一益が入場。間もなく北条氏邦が城主に。そして小田原征伐で北条が滅んだあと、家康の家来の井伊直政が城主に。西暦1600年の少し前、直政は高崎に城を移し、箕輪城は廃城へ。箕輪城百年の歴史が終わる。
高崎からバス、徒歩でかなり時間がかかる城だった。そして関係者の方へ一言。案内看板2箇所とも剥がれていてよく見えません。クマ出没看板も、入場してからじゃ遅い、あらかじめ知らせてもらわないと。熊鈴なんで持ってきませんよ。
下の写真は小学校からかなり奥に入ったところにあった看板、新しいな。今日、どこを歩いてたかは分かったけど、どうせ掲示するなら、来るときにバス停から歩いてきたら、目に留まる小学校の入口に欲しかったなあ。これ、役に立たなかったよ。