円応寺前を通り抜ける。円応寺は建長寺の塔頭のひとつだ。
巨福呂坂にさしかかる。
鎌倉の外から鎌倉中心部へ入る切通のひとつだ。
現代では巨福呂坂というと路線バスも通るこの幹線道路を指すが、大昔から切通として使われていた本来の巨福呂坂はもうすこし西の山の中を通っている。
右横にあるのは、以前このブログで紹介した旧日本海軍の水道みちへとつながる送水管を通したずい道で、それは今も横須賀市の管理下にある。水道みちと同じだ。
このずい道の反対側の出口は、先述の本来の切通である旧巨福呂坂につながっているよ。
ここは「巨福呂坂のトンネル」と呼ばれることも多いが、厳密に言うとトンネルではない。
切通であることを強調するため、天井部分は空いているからね。
雨が降れば、この下の道路は濡れるのである。
照明器具は不思議なデザインだ。
拡大するとこんなの。
トルコの国旗のデザイン??
いえ、違います。これは旧鎌倉郡鎌倉町の町章のデザインです。
現在の鎌倉市の市章はご存じササリンドウだけど、昔の鎌倉町の町章は星と月を組み合わせたものだった。
巨福呂坂洞門を抜けると、県立近代美術館鎌倉別館。
その先は有名な御谷(おやつ)の森へと続く道。
御谷の保護運動は有名。この交通量が多い道と八幡宮の間に、よく静かな地域(御谷)が残ったね。
鎌倉市内に自宅用の土地を探していた時、不動産屋さんに紹介された土地が御谷の奥にあったが、道路付きが難しいので結局買うのは諦めた。近いうちにそこが今どうなっているかを見に行こう。
鶴岡八幡宮でーーす。
変則的に西から入る。
いきなり階段。
上ったところは丸山稲荷社。
いつも目立っている蛭子能収 さんの札。
そこを進むと本宮だ。鎌倉駅の方から若宮大路を歩いて来ると、八幡宮の一番高く見える場所に、私はすでにいることになる。
自分が偉くなった気分に浸れる場所(=八幡宮の本宮)へと進みましょう。
本宮の横から本宮正面を見る。
いつ見ても立派ね。
鎌倉と言ったらイメ―ジする代表的なものが鶴岡八幡宮(あるいは鳩サブレ(笑))
ここ(↓)にも鳩がついている。
舞殿が見える。その向こうには若宮大路、段葛、3つの鳥居。そして海。
見えませんか?
それでは精一杯拡大してみましょう。
若宮大路の両側に広範囲にわたって見える建物がすべて低層の和風木造家屋として維持されていたら、世界遺産登録に失敗せずに済んだかもしれない。
そんなことありえないけどね・・・。
舞殿から歌声が聞こえる。
北鎌倉女子学園の皆様が熱唱中。
一曲一曲の歌が終わる都度、みんなで拍手喝采。
これは昨日の画像だ。
例大祭(9月14~16日)の初日なんだよね。
そんなわけで、舞殿から歌声が聞こえたのでした。
熱唱中の北鎌倉女子学園の皆さんの後ろでは、次の出番を待っている女性グループがいた。
菊紋の提灯はこういう時に出て来るね。
八幡宮の神紋は丸鶴だけどね。
流鏑馬馬場が整備されている。明日16日が流鏑馬だね。
雪ノ下地区のお囃子隊が暑い中熱烈演奏中。
三の鳥居までやって来た。
三の鳥居下から、太鼓橋越えにズームレンズで撮影。
現在ある太鼓橋は関東大震災後に出来た鉄筋コンクリート製のものだ。
その前のは江戸期に石で作られた。
置石の提灯。
段葛のことを置石と呼び、若宮大路沿いの地区を置石町と呼んだりする。
鶴岡八幡宮の例大祭と時期をぴったり合わせて置石町の祭もある。
本日夕方には太鼓橋(三の鳥居奥、源平池に架かる橋)の前に、置石の神輿と大蔵の神輿が揃うらしい。
鎌倉では、由緒ある地名が多く現在の住所区分にも残されている。また住所区分からは消えたとしても、置石とか大蔵とか大昔からの名称が自治会や通りの名前に残っている。
これ(↓)が現在の置石(=段葛)。
三井のリハウスも置石町の祭に参加中。
さて、いよいよ鎌倉のSMBCグループが同じビルに入る。
北の方から三井住友銀行鎌倉支店が、ちょっと南からSMBC日興証券鎌倉支店がやって来て、鎌倉駅東口前の御代川ビルに同時に入る。
ただし1階ではないってところが面白い。金融機関も地面から遠ざかるね。時代ですねえ。
JR鎌倉駅を通り抜ける。
江ノ電鎌倉駅。
鎌倉のオーバーツーリズムはかなりのもの。
江ノ電の小さな車両のキャパからするとやたら多いと言える乗客が、平日土日無関係に朝から夕方までずっと、江ノ電鎌倉駅で乗降りするというのが近年見られる現象だ(朝夕の通勤通学時間帯の方が空いている(笑))。私が小学生だった時の万国博覧会場に向かう大阪御堂筋線の電車を思い出させる光景だな。あれは期間限定だったが、鎌倉はこれからも延々とこれが続くのだろうか(^^;;