宮城県美術館の次回特別展は「奈良・中宮寺の国宝展」とのこと。
https://www.pref.miyagi.jp/site/mmoa/exhibition-20201112-s01-01.html
◆「東日本大震災復興祈念 奈良・中宮寺の国宝展」
・会場:宮城県美術館
・会期:2020年11月12日(木曜日)- 2021年1月12日(火曜日)
以前、東京国立博物館の展覧会で《菩薩半跏思惟像》(国宝)を観た記憶があるが、あの優し気なお姿の菩薩様が来てくださるのがとても嬉しい。
宮城県美術館の次回特別展は「奈良・中宮寺の国宝展」とのこと。
https://www.pref.miyagi.jp/site/mmoa/exhibition-20201112-s01-01.html
◆「東日本大震災復興祈念 奈良・中宮寺の国宝展」
・会場:宮城県美術館
・会期:2020年11月12日(木曜日)- 2021年1月12日(火曜日)
以前、東京国立博物館の展覧会で《菩薩半跏思惟像》(国宝)を観た記憶があるが、あの優し気なお姿の菩薩様が来てくださるのがとても嬉しい。
美術史的には、以前は京都広隆寺の弥勒菩薩の存在もあり飛鳥時代の作かと考えられていたものが、今は白鳳後期の童顔の仏像(法隆寺金堂天蓋の奏楽の飛天や法隆寺六観音など)との類似から、これらと同時期(法隆寺の670年天智火災後の復興時期である天武朝頃)の作と考えられていること、鎌倉時代以前の記録がなく伝来が不明であること、飛鳥・白鳳仏にしては特異な木寄せ法で作られていること、制作当初は多分弥勒菩薩として作られたが、平安時代後期(1120年頃の聖徳太子500年忌)以降の太子信仰の高まりで、四天王寺式の救世観音か如意輪観音とされたこと(鎌倉時代後期に天寿国繍帳が発見され、またこの像の記録が鎌倉時代からであることも太子信仰興隆の流れ)など、この像をめぐる美術史的問題は多々あり、像自体のやさしさから来る造形的な魅力以外に、美術史的にも興味深い作品です。詳細に書かれた解説としては、岩波の大和古寺大観第1巻(法起寺・法輪寺・中宮寺編1977年)が役に立ちます(大型本ですが置いてある図書館も多い)。
なお、宮城県の中宮寺国宝展HPに掲載されている文殊菩薩像は、鎌倉時代後期文永年間の文字が像内に書かれた珍しい紙製の仏像で、当時の中宮寺の尼さんたちがお経の巻物を心として、手紙などを貼り合わせて作ったものです(但し表面仕上げは専門の仏師の作と考えられる)。1年ぐらい前には東博の常設展示に出ていました。
ついでにLNG展の追加投稿を。
先日西美の休館日に企業の貸し切り見学会があり、招待券をもらったので再度LNG展に行ってきました。前回行った時は初期ルネサンスの4枚に限定してじっくり見たのですが、今回はそれ以外の作品で気になっていたものもよく見てきました。特にティツィアーノの「我に触れるな」については事前に手持ち資料を確認してから行きました。元々ヴェネツィア派にはあまり興味がなくて、ティツィアーノの本も3冊(タイムライフブックス巨匠の世界、評論社カラー版世界の巨匠、Rizzoli集英社版世界美術全集)しか持っていないのですが、この中でRizzoliの本のカタログ部分に、「我に触れるな」とジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」がほぼ同じ1511年頃の作として、両者の右上の建物の類似が指摘されていました。前回の時は、LNGガイドの本の解説コピーしか準備していなくて、この本には「我に触れるな」のX線画像による描き直しのことしか書かれていなかったので、この建物の件は今回初めて知りました。タブレット端末に「眠れるヴィーナス」の写真を入力し、現地で拡大して「我に触れるな」の建物と比較したら、まさにそっくりであり、ここまで酷似しているのは同一素描によるものと思いました(あとで両者の建物部分の実寸法を計算してみたら大体一致していました)。
「眠れるヴィーナス」はモレッリにより、細部形式の比較から初めてジョルジョーネと判定されたということですが、こういう部分的な完全一致を見ると、この部分についてはティツィアーノが描いていると思います。この類似はティツィアーノの愛好者にとっては常識かもしれませんが、私は初めて知ったことです。
上野のLNG展はあと数日で終わりますが、今後大阪でLNG展に行かれる方は、ジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」の図版を準備して行き、建物の部分を比較されることをお勧めします。
で、ティツィアーノ《我に触れるな(ノリメタンゲレ)》ですが、エルヴィン・パノフスキー『ティツィアーノの諸問題』で触れてあったのですが、すっかり頭から抜けておりました(^^;。パノフスキーはティツィアーノのジョルジョーネ《ウェヌス》からの建物モチーフ引用は《ノリメタンゲレ》だけでなく、《聖愛と俗愛》でも反転引用されていると指摘しています。
「ボルゲーゼ美術館所蔵の《聖愛と俗愛》…ティツィアーノがジョルジョーネの影響を完全に脱した時期を特色づけている。巨大な塔が描き加えられたのを除けば、たしかに、左手にみえる建物群は、間違いなくジョルジョーネのモチーフを逆にして繰り返している。(ドレスデンにあるジョルジョーネの《ウェヌス》のこのモチーフはティツィアーノの初期の作品《われに触れるな(ノリメタンゲレ)》の背景にも借用され、ここでも風景に重ね合わされている)。」(P108)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Amor_sacro_e_amor_profano_06.jpg
むろさんさんがおっしゃるように、この部分はティツィアーノが描いているのかもしれませんね。
聖愛と俗愛では建物を反転しているのに、下方の道路は3枚とも同じ方向にジグザグに走っているところは面白いと感じました。
ついでに(ブログのテーマはこちらが主題ですが)中宮寺の仏像の件を少し。
宮城県美術館に出品される紙製の文殊菩薩ですが、像内から発見された舎利を包んでいた紙の願文によれば真如という尼僧の発願であり、この人はその数年後の同じ文永年間に天寿国繍帳を法隆寺の倉(綱封蔵)から発見した人です。天寿国繍帳は聖徳太子と母の間人皇后が天国で恙なく暮らせることを願い、太子の化身である夢殿の救世観音を荘厳するために飾ったものだそうです。天寿国繍帳の実物はこの展覧会には出ませんが、文殊菩薩の方は東博に寄託しているので出品しやすいようです。菩薩半跏思惟像は鎌倉時代以降の記録しか残っていないということなので、これも尼真如が関係して聖徳太子ゆかりのどこかの寺から移されたものではないかと想像しています。なお、紙製の文殊菩薩の表面は漆で仕上げられていて紙の面は出ていませんが、頭上の髻の向かって右前方の一つが破損しているので、ここから中の紙が見えます(五髻文殊の他の4つの髻は木製の後補です)。
もう一つついでに、NHK BS1世界のドキュメンタリーで10月20日午前0:00に「ダビンチ 幻の肖像画」という番組があります。
https://www.nhk.jp/p/wdoc/ts/88Z7X45XZY/schedule/
むろさんさんのおかげで、3作品の共通項を確認できました。ありがとうございます!!
>頭上の髻の向かって右前方の一つが破損しているので、ここから中の紙が見えます
おお!貴重な情報をありがとうございます!!ぜひともチェックしたいと思います。
もちろん、「ダビンチ 幻の肖像画」の方も録画予約しなくちゃです(^^)v
同じ奈良の西大寺も同様の事情であり、歴史的には東大寺と並んで平城京の東西に建てられた寺ですが、現在の西大寺には奈良時代の遺品はわずかしかありません(金銅製四天王の邪鬼とか数体の仏像のみ)。現在国宝・重要文化財に指定されているものはほとんど鎌倉時代後期の興正菩薩叡尊が復興した時のものであり、西大寺展を開くとこの時代の宝物ばかりが並びます。中宮寺も平安時代後期以降の聖徳太子信仰の流れの中で、鎌倉時代後期に復興されたものが現在の姿です。浄土宗、禅宗、日蓮宗、時宗(一遍の踊念仏)など「造像起塔」に重きを置かない鎌倉新仏教に対抗するために、旧仏教側が打ち出した戒律復興や釈迦信仰回帰などの動きの中で、仏像や建物が建てられていったために、現代の我々はその宗教美術品を見ることができるということです(「造像起塔」は浄土宗の開祖法然が著書である選択本願念仏集の中で旧仏教を批判して使った言葉。仏像や寺を建てることが極楽往生につながるなら、貧乏人は往生できないということ)。西洋美術でプロテスタントに対抗して、カトリック側がバロック美術の華を咲かせ、それによって我々はローマでカラヴァッジョの絵を見ることができるのと同じです。
中宮寺展では尼真如の復興事業に想いを馳せながら宝物をご覧いただくと、歴史の実態把握に少しでも近づけるのではないかと思います。紙製文殊菩薩も真如ゆかりの像です。
鎌倉仏教に対抗する為に、「造像起塔」の旧仏教側が打ち出した改革例が中宮寺だったのですね。
むろさんさんの「プロテスタントに対抗して、カトリック側がバロック美術の華を咲かせ」の説明が凄く分かり易くて納得でした!!
真如さんが頑張ってくださったお陰で《菩薩半跏思惟像》や《天寿国繍帳》が現代まで伝わったのだと思うと、中宮寺さんへの感謝の念が更に深まります。