Pのlog ( 大阪と上海のChouChou)

通称P。shushu(照れちゃう)ような稚拙きわまりない文面で、上海や大阪のchouchouを綴ります。よしなに。

かつて知っていた道を。

2009年12月31日 | 上海chouchou(みる・くらす)

 食後の運動も兼ねて歩き始める。

 天山路を西へ。

   昔は、その町の出身者が住むから道の名前がついているのだとばかり
   思っていた。中国語の先生は大学生で、江西省南昌の出身だった。
   でも、当然南昌路には住んでいなかった。
   それを言うと先生は大笑いした。さもおかしいようで涙を流さんばかりに。

   南昌路はにせもの市場のあった襄陽市場のすぐ南に面していて
   そういう商人が行きかう通りだった。そこを過ぎれば静かな下町だったけど。

    

  そういうわけで、天山路は別に新疆の人たちがいっぱい住んでいる地域、
  というわけでは…当然ない。

        

  それでも下町には変わりない。こんな通りがぼくはとても好きだ。
  そこでは浦東ほど、ぎすぎすした忙しさやせわしなさもなく。みんなゆっくり
  過ごしている。

  飲水機の替えの水のタンクをいっぱい背負ったリヤカーやら
  さっき維心で食べた値段よりも半額以下のはずの「蘭州ラーメン」の店が
  あったり。(この麺はひさしく食べていなかったので食べてみたかった 
  ここではちゃんと1分が60秒で過ぎるようにできている

               

  天山路から縦に折れ、芙蓉江路を少し歩いてすぐに、茅台路で曲がる。

   飲み物を冷やしてない駄菓子やさんや 

         

  いろんなものを回収しているリヤカーやら。
  かつて、昼間に家族で食べに来た牛タンやさんやら、夜にタクシーで通り
  過ぎたり、歩いて冷やかしながら酔いをさまして歩いた通りとか。

   

 こんな団地もありました。ああ、あったあった  夜にそびえたつように
 あるこわいような暗さの中、それでもたくさんの人がいて、ちゃんと保安も
 あって維持されている不思議な治安のよさだとか、
 現地の人もこんな高層に住むんだって、いう不思議な共感とか、
 団地の中は日本のどこかのような不思議な空間で(そう、たしかに仲良かった
 女の子の家がこんな感じだった  )それでいて中国特有の形が見え隠れする
 居心地のよさとか。

  そんなことを思い出しながら、あの頃ぼくはなにを思って歩いていただろう
  とか、そんなことを 

潘叙コ柏 & 弦子 - 不得不愛


   この歌とともに思い出したりしながら歩く。
   何年たったのだっけ? 
                                      

   帰国直後にこの歌は「NHK中国語会話」の主題歌になっていた。
   切ないフレーズで飛行機が飛んでいく冬の北京の空が背景でとてもきれい
   だった
   昼も夜も深夜も、いろんな思い入れのある通りを歩いて 
   今度は水城南路に入る。
                    

   荷物を運搬する地方の人と、こぎれいなお姉さんのアンバランスでありながら
   成立させている風景。ここはいろんな業界、いろんな世界に住む人が
   それぞれ のびのびと生きている。

     

  ここは交差点のガソリンスタンド。水城南路×仙霞路。
  欧米のいわゆる”eight Majors”を凌駕するともいわれるSINOPECの
  ガソリンスタンド。年末のせいか、それとも最近は平常でもそうなのか、
  給油待ちの列。それだけ車が増加しつづけているということだろう。
  
   2009年。ついに年間自動車販売台数が世界一になった   

 

  それでも、こんなふうに人の力に頼る世界はまだまだあるわけで
  この国の潜在力の懐の深さを思いながら

  でもすぐに違うことを考えてみたり。大晦日の午後はそんな感じです。

  そろそろおせち取りにいかなきゃ



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