食後の運動も兼ねて歩き始める。
天山路を西へ。
昔は、その町の出身者が住むから道の名前がついているのだとばかり
思っていた。中国語の先生は大学生で、江西省南昌の出身だった。
でも、当然南昌路には住んでいなかった。
それを言うと先生は大笑いした。さもおかしいようで涙を流さんばかりに。
南昌路はにせもの市場のあった襄陽市場のすぐ南に面していて
そういう商人が行きかう通りだった。そこを過ぎれば静かな下町だったけど。
そういうわけで、天山路は別に新疆の人たちがいっぱい住んでいる地域、
というわけでは…当然ない。
それでも下町には変わりない。こんな通りがぼくはとても好きだ。
そこでは浦東ほど、ぎすぎすした忙しさやせわしなさもなく。みんなゆっくり
過ごしている。
飲水機の替えの水のタンクをいっぱい背負ったリヤカーやら
さっき維心で食べた値段よりも半額以下のはずの「蘭州ラーメン」の店が
あったり。(この麺はひさしく食べていなかったので食べてみたかった )
ここではちゃんと1分が60秒で過ぎるようにできている
天山路から縦に折れ、芙蓉江路を少し歩いてすぐに、茅台路で曲がる。
飲み物を冷やしてない駄菓子やさんや
いろんなものを回収しているリヤカーやら。
かつて、昼間に家族で食べに来た牛タンやさんやら、夜にタクシーで通り
過ぎたり、歩いて冷やかしながら酔いをさまして歩いた通りとか。
こんな団地もありました。ああ、あったあった 夜にそびえたつように
あるこわいような暗さの中、それでもたくさんの人がいて、ちゃんと保安も
あって維持されている不思議な治安のよさだとか、
現地の人もこんな高層に住むんだって、いう不思議な共感とか、
団地の中は日本のどこかのような不思議な空間で(そう、たしかに仲良かった
女の子の家がこんな感じだった )それでいて中国特有の形が見え隠れする
居心地のよさとか。
そんなことを思い出しながら、あの頃ぼくはなにを思って歩いていただろう
とか、そんなことを
潘叙コ柏 & 弦子 - 不得不愛
この歌とともに思い出したりしながら歩く。
何年たったのだっけ?
帰国直後にこの歌は「NHK中国語会話」の主題歌になっていた。
切ないフレーズで飛行機が飛んでいく冬の北京の空が背景でとてもきれい
だった
昼も夜も深夜も、いろんな思い入れのある通りを歩いて
今度は水城南路に入る。
荷物を運搬する地方の人と、こぎれいなお姉さんのアンバランスでありながら
成立させている風景。ここはいろんな業界、いろんな世界に住む人が
それぞれ のびのびと生きている。
ここは交差点のガソリンスタンド。水城南路×仙霞路。
欧米のいわゆる”eight Majors”を凌駕するともいわれるSINOPECの
ガソリンスタンド。年末のせいか、それとも最近は平常でもそうなのか、
給油待ちの列。それだけ車が増加しつづけているということだろう。
2009年。ついに年間自動車販売台数が世界一になった
それでも、こんなふうに人の力に頼る世界はまだまだあるわけで
この国の潜在力の懐の深さを思いながら
でもすぐに違うことを考えてみたり。大晦日の午後はそんな感じです。
そろそろおせち取りにいかなきゃ
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