小牧の旅のあれこれ

あちこち旅をしている時のあれこれ

アユタヤ観光

2008-01-14 23:44:13 | タイ
2008/1/14
別の友人達が13日にバンコクにやって来ました。タイは初めてだと言うのでアユタ1日観光に出かけました。バンコクの安宿街カオサンでツアーを予約して置き、朝宿からピックアップしてもらい出発地のカオサンに集合。ここでツアー会社が目的地別に分け、我々はアユタヤ観光のマイクロバスに乗り込みました。バスは韓国人の若い男女4名と黒人夫婦が一組と我々3名。今回参加したのはMAMAツアーと言う旅行社が主催するツアーで40名近くが集まり、その一部が我々の車の1日アユタヤ観光で、後は黄金の三角地帯ツアーとの組合せの人達でした。バンコクから小1時間でアユタヤに到着。アユタヤは川がくびれて島になった所に王都が作られ栄華を極めたが、ビルマとの戦いに破れ徹底的に破壊され滅びた。アユタヤは日本人には傭兵として仕えた山田長政が有名で馴染みがあるが所で日本からの観光客も多い。バンコクからも近く人気の観光地でもある。
 最初は遺跡の北西に聳える大仏塔、ワット・プー・カオ・トーンに向いました。白亜の大仏塔でビルマ占領下にビルマ様式に改造されたが、後にタイ様式に作り替えられた。その所為で基壇や仏塔は セメントで表面が塗り潰されている。

     ワット・プー・カオ・トーン

      ツアー参加者とガイド

      お賽銭が入れば願いが叶う?
ここに来る途中にビルマ軍と戦って戦死したスリヨータイ王妃の仏塔の前には、絶滅した恐竜時代の鳥の様な極彩色で巨大な雄鶏の像が立っていてビックリ。そう言えばこの仏塔までの道の両脇には鶏の置物が点々と立ち並んでいた。
 次に王宮の守護寺院だったワット・プラ・シー・サンペットを見物。寺院跡は壊滅的にビルマ軍に破壊され石の仏像も殆ど首を落とされている。わずかに3人の王の骨が納められている釣鐘型の仏塔が往時の面影を残しているのみである。後は夥しいレンガが露出した廃墟のみである。

 3人の王の遺骨を収めた仏塔(Wat Phra Sri Sanphet)

   ワット・プラ・シー・サンペット(王家の守護寺院)
次にこの寺院に隣接したヴィハーン・プラ・モンコン・ピボットを見物。ここにはタイ最大の青銅仏が納められている。勝手は野ざらしに成って居たのを、今は屋根を着け新しい寺になっている。
 この寺の脇の食堂で昼食を食べた。一応ビュフェ方式だが、ご飯とおかず2品だけで、40名からの人数ではすぐ空になり、足しても足しても追いつかない有様。テーブルも間に合わず、隣の食堂のテーブルを使う羽目になった。飲み物は別料金なので、座った所の食堂で友人が缶ビールと水を買ったら、倍の値段を取られた。
 食後はアユタヤ時代のタイの伝統的な木造家屋を再現した、クンペン・レジデンスのチークの黒光りのする板の間で、寝そべって一休み。個人で来た場合には、ここで昼寝でもしたい気持ちの良い所である。

     アヤタヤ時代の民家
次にエレファント・キャンプで像のショーを見てから、巨大な涅槃物が有るワット・ロカヤスタに行く。涅槃像の前にはお参りの為の、線香と蓮の蕾みを売る店が有る。ガイドが蓮の蕾みの外皮を一枚一枚剥がして折り畳み、蓮の花の形にする方法を教え、お参りを勧める。涅槃像の背後のは全くの瓦礫の山で寺院面影も無い。

     涅槃物(ワット・ロカヤスタア)
 最後は菩提樹に仏像の首が取り込まれている寺ワット・プラ・マハタートを見物。寺院前の巨大な菩提樹の根元から、仏像が顔を出している。ビルマ軍に首を落とされた仏頭が、勝手は地中に埋もれていたが、木に取り込まれ成長すると同時に、段々高く成り現在50cm位の高さになっている。この寺院の規模は大きく、回廊後の壁には多くの首無しの石仏が並んで居る。勝手は巨大な仏塔が在ったが崩れ、僅かに原型を留めて居る。本殿の周りにはレンガが剥き出しに成った多くの釣鐘型の仏塔が建ち並んでいる。その一つは仏塔の半分が崩れて終い、今にも崩れそうである。

木に取り込まれた仏頭(プラ・マハタート寺院)

         大仏塔跡

       首を落とされた仏像

 修復され残った仏像
コメント
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