眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

タイムスリップ・レター

2022-03-24 02:44:00 | ナノノベル
「まだ書いてるの? 出すのが遅れると返事も遅れて届くよ」
「ああ、そうね」
 親切だか何だか知らないが、あなたが教えてくれることは、いつもわかりきったことばかりだ。
 わかっている。僕は書きあぐねている。どのように書いたとしても、見返せば何も書いてないように思えてしまう。何度も出せるものではない。だからちゃんと書かねばならない。
 時間がかかったとしても、ちゃんと届けたい。
 僕はそう思っていた。


 完成しない手紙を手元に置いている内に、先に返信が届いた。

「返事が早くなってしまうことをお許しください。だけど、あなたのために思い切って書きました。あなたにはわるいけど、あなたのことはほとんど印象に残っていません。顔も声も何一つです。だから、あなたの私への想いというのは、完全に方向違いです。(本当に本当に本当に)私から返せるものは、この手紙が最初で最後になります。どうかそのありあまる想いと無駄な労力を、他のよいことに対して向けられるよう、切に願います」
       
  愛なき未来の他人より

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【将棋ウォーズ自戦記】エースに任せて

2022-03-24 02:31:00 | 将棋ウォーズ自戦記
「お前が先手だ」

 角道を止めて三間に飛車を振った。相手は天守閣美濃に組んできた。僕は石田流の構えに飛車を浮き桂を跳ねた。すると相手は銀を腰掛けてきた。僕は角を中央に運び間接的に居飛車の飛車を狙った。すると相手は飛車を端によろけた。そこで僕は石田の横の歩を突いていなくなった居飛車の隙を突こうとした。

 相手は腰掛け銀の斜めから歩を突っかけて暴れてきた。僕は負担になった石田の桂を金を寄って受けたが、強く角をぶつければよかったと思う。攻められていると思うと意識が受けに偏って、広い視野や強くさばく心が失われてしまう。振り飛車というものは最初攻められることが多いのだから、強い心を失ったらさばけないものだ。(もっと心を強く持たねばならない)

 相手は端に桂を跳ねてきた。対抗形の将棋では左辺の桂香は相手に回収される運命にあることも多い。だから、端に活用する筋はどちら側を持っても有力になることがある。以下ごちゃごちゃとした後、僕は敵陣に作った馬で居飛車の飛車を押さえ込むことに成功した。すると相手はじり貧はごめんだとばかりに飛車を飛び出してきた。それによって飛車桂交換という大きな駒得を果たすことに成功した。普段はただ取られてしまうだけの桂が、飛車と交換になったのはとてつもなく大きかった。相手は何とか食いつこうと馬を作り、桂を打って飛車を狙ってきた。

 僕は馬による飛車取りを無視して(金の紐がついている)敵陣に飛車を打ち下ろし、中段に浮いた銀に当てた。すると相手は自陣に歩を打って飛車の利きを遮った。そこで僕はすかさず当たりになっていた自陣の飛車を寄って、浮き駒の銀に当てた。自陣に歩を打ったため、飛車を先手で止める筋がない。将棋はこうした歩を巡る攻防が、勝負を分ける重要な要素になりやすい。

 相手はやむなく銀を斜め前に逃げた。僕は馬を引きつけて出たばかりの銀に当てた。すると相手は馬を前進させて、銀を守りつつ僕の飛車に当てた。そこで僕は飛車を寄って強く馬に当て返した。元々駒得していると強い応対が成立するところが面白い。相手は同じく馬と応じ、それに対して僕も同じく馬と指した。相手は飛車を動かした。僕はさっきいたところに馬を動かし、もう一度銀取りにした。すると相手は銀を成ってきた。僕は馬を寄って飛車と成銀に同時に当てた。
(接近戦では馬は飛車に大きな顔をすることができる)

 相手は遊び銀を取りながら飛車を逃げた。僕は馬で成銀を取った。美濃に馬、これほど心強い構えがあるだろうか。相手は端歩を突いて端に手段を求めてきた。そこで僕は馬をグイッと押し上げて飛車に当てた。同時に天守閣美濃の底を通って端の香にも当たっている。相手は飛車を逃げた。僕は馬で端の香を取った。唯一の攻撃手段も失って、ここで相手は投了となった。

 相手の馬を取り返すところから、僕は馬以外の駒を動かしていなかった。(6手連続だった)将棋の終盤はごちゃごちゃとして難しいものだが、時にはそう難しいことをしない方がいい場面もある。主役にだけ任せておけば上手くいくこともあるのだと学んだ。




●切れ者でござる ~将棋は歩で決まる

 将棋は取った駒を自分の戦力として使うことができる。盤上から消された駒は、相手の駒台の上に移動することになる。戦国で言うならば寝返りのようなものだ。二重に大きい。駒の損得を軽視できない理由はここにもあるだろう。
 駒台にある持ち駒は、いつでも自分の好きなところに使うことができる。但し、歩だけは禁じ手のルールによって「自由」の幅が大きく制限されている。

「好きな時に好きなところへ」

 普通の駒はそれができるが、唯一歩だけは「二歩」という禁じ手のルールのおかげで、それができない。
「もしもどこにでも歩が打てたら……」
 二歩というルールがなければ、将棋は全然つまらないものになっていることだろう。(歩は多すぎる。と金となれば強すぎる)
 一つしか利かないことが将棋というゲームにおいて、重要な要素になっていることは間違いない。
(相手に渡ったとしても歩)

 たたきの歩、継ぎ歩、垂れ歩、と金攻め、歩は攻撃の主役とも言える。金底の歩は受けの代名詞だ。歩は攻めとしても受けとしても非常に効率がよい。歩で済むことによって、自分の戦力のみを温存することができる。 歩は囲いにとっては守備駒の一部でもあり、位、拠点、様々な顔を持つ。中盤以降ではその筋の歩が「切れているかどうか」ということも、重要な点となる。 
 最終的には、そこに歩が利くかどうかが「詰むかどうか」、つまりは勝敗に直結することも少なくない。

「ここに歩が利くのか!」

 そういう見落とし(未発見)によって負けてしまった。勝つことができなかったという経験は誰にでもあることだろう。
 利くかどうかが棋理の上では勝敗を分かつが、人間同士の勝負の上では、それは「みつけられるかどうか」でもある。
 強い人ほど、決め手になるような厳しい歩を見逃すことは少ない。

「将棋は歩で決まる」

 そういうこともあるだろう。
 見逃さないコツは前もってみつけておくことだ。常に歩の利き筋について敏感に意識するように心がければ、香車一枚くらい強くなっても不思議ではない。

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