「ラーメン屋を開こう」
思い立ってラーメン屋を開いた人がいる。思ったほどに上手くはいかず、行き詰まって店を畳む人がいる。努力を積み重ねて、繁盛店を作り上げる人がいる。思っただけでは始まらない。思わなければ何も始まらない。始めることは思うよりも骨が折れる。思うだけなら自由でいい。
「ラーメン屋をはじめよう」
ほんの一瞬だけなら、誰でも思うことだろう。
味、香り、麺のちぢれ具合、スープの色、丼の重み、麺を啜る音が聞こえる。空想の中で、人はラーメン屋へ行くことができる。暖簾の長さは70センチ、黒く汚れて破れかぶれの雑巾みたい。
「いらっしゃい。お客さん、ラーメンは好きかい」
「まあまあです」
威勢のいい大将が、トッピングのリクエストを聞いてくる。
もやし、葱、特製チャーシュー、メンマ、煮玉子、人参、キクラゲ、白菜、椎茸、ナルト、ほうれん草、しじみ、あさり、蛤、小松菜、ピーマン、青梗菜……。
「もうええわ」
ラーメンの主役は、麺とスープ。主役を食うくらいなら、何もいらない。
「葱とメンマで」
「うちのチャーシューは分厚いんです。一切れ入れると丼を突き抜けて天井にまで届くんです」
「じゃあ、チャーシューも」
「おおきにー!」
しゃっ! しゃっ! 大将は麺を湯切りする。その顔は切腹を前にした侍のように真剣。
「お待たせしました」
うわー。顔に出そうなくらいまずい。自分の味覚を疑うほどだ。一口啜る度に、まずさが押し寄せてくる。残したら、どんな顔をされるだろうか。なるべく一口を小さくして、地道な運動を繰り返して量を減らしていくか。それとも苦い薬と思って一気に頬張るか。まさに雑巾のようなラーメンだ。
「よかったらこれを入れてみてください」
大将が突き出した味変の小瓶。何かわからないが死にかけの蛇のような色をした液体がたっぷり入っている。
「どうも」
これはもう試すしかない。