「あのねえ」フジさんは言った。
少しは驚いてもらえるかと思って、僕は「千の歌を作った」ことをフジさんだけに教えた。歌について話せる人が現れるとその人のことを普通よりも身近に感じるようになる。フジさんの隣にかけながら、知らない人にビールを注ぎに行くのが嫌で、僕は落ち着かずそわそわしていた。
「歌というものは中身がなくちゃ……」
数だけでは意味がないよとフジさんは言った。(千だろうが万だろうが同じ事か……)
「意味」という言葉が、僕には難しくて理解できなかった。反応は予想に反してなかなか手厳しいものだった。本心を隠し上辺だけでほめることもできただろうに。それに比べれば遙かによいことだった。満足できるものなど何もなかったのだから。
「ああ、面倒だな」
「もうじっとしていなさい!」
何もしなくていいとフジさんは言ってくれた。気持ちが少し楽になった。それから少しして僕は席を立った。最も遠いところにいる人のグラスにビールを注ぎに行った。見覚えもない人なのに、向こうは僕のことを知っていて何か不思議な感じがした。僕の小さい時のことを、父が若かった頃のことを色々と、色々と知っていた。知らない人たちのことが、突然身近な存在に感じられた。席を回って行く内に肩の力が抜けていくようだ。ここに知らない人など一人もいない……。もう父がいなくなってしまった、その代わりに、僕がここにいて、生かされているに違いなかった。
愛すれば
稀有なる夏を
ともにして
梅を蹴散らす
フジの歌声
折句「揚げ豆腐」短歌