いやもう、こんな日は会社に来るだけで一仕事だ。やぁよく来た、よく来た。誰もわかってくれないだろうから自分で誉めるしかない。急坂の山頂に家がある。雪など無くても自然に加速して転倒する人が後を絶たない急峻さだ。ここを訪れる人の多くは、「この急傾斜は普通階段にする」と断言する。そこにこの雪だ。臆病な私は、結局このルートで出社することを諦め、尾根伝いに新雪を掻き分けて進み、遙か彼方にポツンと存在する25番系統のバス停を目指した。バス道路はゆるやかなだらだら坂で、チェーンさえつけていれば山を下りられる。それでも坂の途中には雪で進退窮まって乗り捨てられた乗用車が何台も残っていて、その間を大回転さながらに下りていかなければならない。そんなわけで普通なら最寄駅まで10分もかからないが、今朝は40分近くかかった。実はそんなこともあろうかといつもの1時間前に家を出たのである。
昨夜というか今朝、寝る前に今日のブログのために、と書いておいた話が、まったく、この大雪奮闘記にそぐわない。われながら情けない限りだ。しかし、もったいないから、載せてしまおう。なんせ昨夜は深夜零時過ぎに雪の中を帰り着き、なぜかあれやこれやでほとんど寝ないで書いたものだ。もったいない。エコの香りがするブログである。さて
「ダンボ」という動物をご存知だろうか。ディズニーのキャラクターで、耳が異様に大きい象の変異種である。巨体なのに耳を使って空を飛べる。かなり昔、アニメ映画になった。かなり昔と言ったが、日本が真珠湾を攻撃したのは1941年の12月8日のことであるが、その直前、東条英機が東条内閣を組閣した頃、アメリカで公開された映画である。ゼロ戦が真珠湾の上をびゅんびゅん飛び回っている頃、ハワイの映画館では、ダンボが、親友ねずみのティモシーに励まされて空を飛んでいたかもしれない(攻撃は早朝行われたので、オールナイトでダンボを放映していた映画館があれば、と言う話だが)。日本では、戦後数年経ってようやくオリンピックを目指して頑張ろうと意気盛んになった頃に公開された。
「耳がダンボのようになる」と言う表現をいつ頃から誰が使い始めたか知らないが、昔なら「聞き耳をたてる」という言い方をしていただろう場面で、「耳がダンボ」と言ったりする。私には、わかりやすい言葉だが、ダンボを知らない人には何のことかさっぱりわからないだろう。まさかとは思うが昔から言い古された言葉だと思って使っている人もいるかもしれない。
喫茶店や電車で特に何もすることが無いと言う時、近くで若者同士が話をしていたりするといきなり耳が「ダンボ」になる。何を話題にしているのか気になって仕方がない。特に家族のことを話題にしているとダンボ化の反応が早いようだ。中でも、父親について話題にしていたりすると大人になった「ダンボ」ぐらいの耳で聞いてしまう。世間の父親が如何に扱われているか、特に話者が若い娘さんだったりすると、どんな風に語られているか聞かずにおれない。
ところが、話者がある程度高齢のご婦人、世間一般にはおばちゃんと呼ばれる類いのレディ方の会話には不思議と反応しない。逆に、「あれ、中国語かな?」などと心の中で思ってしまうほどヒアリング能力が大きく減衰する。まったく自分勝手な耳だ。
最近電車の中で隣に座った両人ともある程度シニアな母娘が会話しているのを聞くともなしに聞いてしまったが、ああ、聞かなければよかったと、聞いてから思うのである。
「あの人はあたしに任せっぱなしで、あんたたちを育ててきたから、距離がわからないのよ」
「でもいい所は見せたいわけでしょ」
「いい所見せてるつもりであれじゃね」
10分ほど居たたまれない気持ちで聞いてしまった。お父さんはなかなか理解されない生き物だ。その最も悲しい生態を垣間見てしまうのがシニアなご婦人方の会話でやり玉に上がっている最中だ。耳をダンボにするとは言うが、その逆は何と言うのが今の言い回しなのだろうか。耳をパタンと前方に閉じる絵を見ることはあるが、絵のとおり、耳を閉じたくなった、と言う表現がピッタリではある。
ダンボは欠点だと思っていた大きな耳を、空飛ぶ羽として利用するアイデアで利点に変えて自信を持った。欠点だと思っていたものが見方を変えると長所である場合は多い。お父さんにも埋蔵された長所がたっぷりあるはずだ。だが、見方を変えるためには柔軟な発想力が必要だ。
と、こんなことを雪に埋もれる山頂で夜だか朝だかわからない時間に書いて、いざ、と出社してきたのであった。
monipet
動物病院の犬猫の見守りをサポート
病院を離れる夜間でも安心
ASSE/CORPA
センサー、IoT、ビッグデータを活用して新たな価値を創造
「できたらいいな」を「できる」に
OSGi対応 ECHONET Lite ミドルウェア
短納期HEMS開発をサポート!
GuruPlug
カードサイズ スマートサーバ
株式会社ジェイエスピー
横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
製品開発(monipet)、それに農業も手がけるIT企業
昨夜というか今朝、寝る前に今日のブログのために、と書いておいた話が、まったく、この大雪奮闘記にそぐわない。われながら情けない限りだ。しかし、もったいないから、載せてしまおう。なんせ昨夜は深夜零時過ぎに雪の中を帰り着き、なぜかあれやこれやでほとんど寝ないで書いたものだ。もったいない。エコの香りがするブログである。さて
「ダンボ」という動物をご存知だろうか。ディズニーのキャラクターで、耳が異様に大きい象の変異種である。巨体なのに耳を使って空を飛べる。かなり昔、アニメ映画になった。かなり昔と言ったが、日本が真珠湾を攻撃したのは1941年の12月8日のことであるが、その直前、東条英機が東条内閣を組閣した頃、アメリカで公開された映画である。ゼロ戦が真珠湾の上をびゅんびゅん飛び回っている頃、ハワイの映画館では、ダンボが、親友ねずみのティモシーに励まされて空を飛んでいたかもしれない(攻撃は早朝行われたので、オールナイトでダンボを放映していた映画館があれば、と言う話だが)。日本では、戦後数年経ってようやくオリンピックを目指して頑張ろうと意気盛んになった頃に公開された。
「耳がダンボのようになる」と言う表現をいつ頃から誰が使い始めたか知らないが、昔なら「聞き耳をたてる」という言い方をしていただろう場面で、「耳がダンボ」と言ったりする。私には、わかりやすい言葉だが、ダンボを知らない人には何のことかさっぱりわからないだろう。まさかとは思うが昔から言い古された言葉だと思って使っている人もいるかもしれない。
喫茶店や電車で特に何もすることが無いと言う時、近くで若者同士が話をしていたりするといきなり耳が「ダンボ」になる。何を話題にしているのか気になって仕方がない。特に家族のことを話題にしているとダンボ化の反応が早いようだ。中でも、父親について話題にしていたりすると大人になった「ダンボ」ぐらいの耳で聞いてしまう。世間の父親が如何に扱われているか、特に話者が若い娘さんだったりすると、どんな風に語られているか聞かずにおれない。
ところが、話者がある程度高齢のご婦人、世間一般にはおばちゃんと呼ばれる類いのレディ方の会話には不思議と反応しない。逆に、「あれ、中国語かな?」などと心の中で思ってしまうほどヒアリング能力が大きく減衰する。まったく自分勝手な耳だ。
最近電車の中で隣に座った両人ともある程度シニアな母娘が会話しているのを聞くともなしに聞いてしまったが、ああ、聞かなければよかったと、聞いてから思うのである。
「あの人はあたしに任せっぱなしで、あんたたちを育ててきたから、距離がわからないのよ」
「でもいい所は見せたいわけでしょ」
「いい所見せてるつもりであれじゃね」
10分ほど居たたまれない気持ちで聞いてしまった。お父さんはなかなか理解されない生き物だ。その最も悲しい生態を垣間見てしまうのがシニアなご婦人方の会話でやり玉に上がっている最中だ。耳をダンボにするとは言うが、その逆は何と言うのが今の言い回しなのだろうか。耳をパタンと前方に閉じる絵を見ることはあるが、絵のとおり、耳を閉じたくなった、と言う表現がピッタリではある。
ダンボは欠点だと思っていた大きな耳を、空飛ぶ羽として利用するアイデアで利点に変えて自信を持った。欠点だと思っていたものが見方を変えると長所である場合は多い。お父さんにも埋蔵された長所がたっぷりあるはずだ。だが、見方を変えるためには柔軟な発想力が必要だ。
と、こんなことを雪に埋もれる山頂で夜だか朝だかわからない時間に書いて、いざ、と出社してきたのであった。
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「できたらいいな」を「できる」に
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