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ジェイエスピー社員が綴る日替わりブログ

通らない声

2010-05-25 10:51:22 | 日記
 通る声、と言うのがある。何気なく普通に話しているのに周囲の雑音をものともせず、かなり離れた人の耳まではっきり話題が届く。
 それに反し、通らない声、と言うのもある。そんなに小さな声ではないのに、話している人の口元から声が離れない。むしろ話し手の体の中に声が戻っていってしまっているのではないかと思うような話し方だ。言葉がはっきりした形にならず、宙を矢のように進むことも無くもやもやとさ迷って消えていく。何を伝えたいのか、なかなかわからない。
 書く文字と違って、話す言葉、と言うのは話し手の体から発せられる、その人の心の分身みたいなものだ、と思う。あ、いや、書く文字だって分身だ。しかし、紙の上に、または電子的に、捕らえられて動けない言葉と違い、話し言葉は命を持った小人さんみたいにあちこち自由に飛び回り、話し手の気持ちを聞き手の気持ちに届ける役目を担っている。

 はっきり間違いなく聞く人に伝えようと努力している人の言葉は、だとだどしくてもたとえ間違った言葉遣いであっても、本当に伝えたかった内容で正しく聞く人の心に届く。駅のホームでも車の多い交差点でも、そういう人の言葉は耳に入って来る。そういう人に会うと、この人は、通る声の持ち主だな、と思う。

 質問されたので社交辞令として形式的に答えている、と言うような話し言葉は、話し手が伝えたいと心から思っているわけではないので、口から出た言葉に元気がない。聞き手の耳には届くが心までは届かない。いついかなるときも、そんな話し方でしか話せない人に出会うと、この人の声は通らないな、と思う。
 
 最近通らない声だな、と思う人が多い。大きい声を出すことはできるが、通る声ではない。その人が話しをしていることはわかっていても、周囲の風景と化してしまっていて言葉が心に届かない。と言うより、むしろ自分の言葉が誰かの心に届いてしまうことを嫌がっている。耳には届いても心には届かなくていいよ、と言葉たちに伝えて、言葉たちは言われたとおり振舞っている、そんな感じだ。みんな笑顔で話しを聞き終えるが、何を話していたか思い出せない。

 逆に耳障りなほどギンギン響く声の人もいる。発せられた言葉の意味とは異なる強烈さで気持ちを圧倒する。心に気持ちよく届いているわけではない。
 
 伝えたい、という気持ちはきっと届く。通らない声の人もいつか通る声で話したいと思う時がくるだろう。通らない声で話す練習ばかりしないで、通る声で話す練習も積んでおいたほうが良い。最も重要なことは、伝えたいと思うことだ。
 
 さて何を伝えたいのか?ほら、そこから、いい練習ではないか。


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株式会社ジェイエスピー
  横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
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