年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

71歳に

2013-01-14 | フォトエッセイ&短歌

 子どもの頃、60歳といえば爺さん婆さんであり、老人真っ盛りというイメージがあった。だから赤いチャンチャンコの還暦は長寿の祝いとして、あるいは年寄りの赤ちゃん返りとして大いに納得していたのである。こういう何とはなしの先入観は消えることはなく自分がその歳になって60歳は老人とは言えないのではないかと気づくものだ。
 そして、まだ現役で行けるのではないか、と思っても定年というトロッコに乗せられて現場から放り出される。あるいは正規から嘱託講師臨時派遣パートとか、いわゆる非正規として前線から外される。なにか大きな生涯の計画を持っていて60歳を第2の人生として切り替えられる人もいる。今時、珍しくもない80歳まで生きるとすればまだ20年間もある。
 第2の人生の持つ意味は大きくもとより個人の問題ではあるが、政治課題でもある。行政も生涯学習とかボランティアとか趣味の倶楽部とか様々な施策を提供している。がどうも上手くいってないのが現状である。
 大きなお世話だ!もうごろごろとのんべんだらりとぐうたらするのが私の夢だったという御仁も多かろう。勤勉・定刻・規則・組織を旨としてきた日本の勤労者は第1の人生で「もうすり切れたよ」、これで充分という声も聞こえる。
 私もこれという定めなき晴耕雨読のような第2の人生を10年も過ごし70歳・古希を越えてしまった。そして70歳を老人扱いしていいのか、老人とは言えないのではないのかなどと思うが、これはさすがに強がりだ。駅のエスカレータの位置はいつも目線に留めて置くし、席でも譲られようものなら手刀切っていそいそと当然とばかりに転げ込むのだ。
 成人の日で71歳になる。お迎えが来ても不思議ではない年齢になった。ところが父は83歳、母は100歳で亡くなった。遺伝子的にいえばまだ10年以上は三途の川はわたれない。ぐうたらするには長すぎる。
 一年の計は元旦にありと云うがそういう計は余り意味が無く、ターミナルまでの節目の計が必要になったようだ。終着駅に着いたとき「よっこらしょ」と人生を納得して降りられるようにしなければならない歳を迎えたのだ。
  寺の前で南無阿弥陀仏が目に入る。含蓄のある内容だ、草木は寒風に耐えながらも春に芽吹く若芽を育てているのか。

<人間様は枯れていくばかりで時を戻ることはない>


  老えば老え今ひとたびの浮き世風めぐり来るかな春風駘蕩  

  新生の日本を肌に育ち来たもの無き戦後肌身離れず

  振り袖の羽根突きがある正月は貧しき戦後の息吹く響き  

  歳みつめ新春詠の歌いかにまあこんなものと精進に励むか

  振り袖の成人式の華やぎは人工減の歯止めになるか