年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

新春詠

2013-01-11 | フォトエッセイ&短歌

 正月を蔵王山麓の別荘で過ごす。別荘とは云っても暖炉の薪が赤々と燃えるような建物ではなく、名ばかりの山荘程度の粗末なものである。従って暖房費が大変である。電気暖房器に石油ストーブ、更にはガスヒーターと三大エネルギーが総出である。この山荘の良さは地名が遠刈田温泉とあるだけに温泉が引かれていることである。
 山麓とは云っても宮城の白石市に近く雪はそれほど深くはない。しかし、日本海側の豪雪地帯である蔵王連山の東側で気候の影響はてきめんに受けしょっちゅう変化している。特に吹き降ろす風が冷たく気温は思いのほか低下し、どこからともなく雪片が舞ってくる。 詩歌で読まれる風花の風情は一日中である。葉を落とした冬木立に広がる淡彩画のブルーを流した空からみちのくの柔らかい陽射しを受けながら舞ってくる風花にオッツと声を出させるような美しさがある。北国の夕暮れは早く空も雑木も道も刷毛で剥いだ墨絵のように地に沈む頃、急に梢が暴れ出し粉雪が横殴りに流れていく。その風雪の荒々しさは自然の猛威を思い知らせてくれる。
 やがて夜、吹雪は収まり綿を千切ったような重たい雪がサンサンを降り注ぐ。ただひたすらに何かに怒っているように舞い降りてくる。雪国の何メートルも積もる雪を知らない者には恐ろしくもある。辻の街灯が降り注ぐ雪の中で心細げに灯っている。
 雪は世界を変えるのだ。デジタル化でテレビが映らない、新聞も買いに行けない、ラジオも感度が悪く雑音が大きい。孤立した窓からジッと闇に消えて行く幻想的な夜の雪景色を眺めるだけだ。こうなると煩わしかった人間関係も人恋しくなる。居酒屋の忘年会で激論を中断したAだの、集会の悩み多き幹事のBだの、正月はパリの裏町を歩いて来るからと旅立ったCだの、大連の息子の所を最後の住処にしたよと複雑に別れたDだの、前立腺ガンの悪化で2時間おきのトイレ夜で眠れんと電話でこぼしたEだの、そんな顔が次々と浮かんでくる。
 インターネットの接続がないのでメールも送信できない。うんでも時間があるもんで、ワインをちびちびやりながら新年の抱負などを反芻する。モンマルトルの歴史の息遣い、ニューヨークのダウンタウン、ドン・コサックが進軍した草原とかをさ、そんな世界に開かれたテーマを詠ったらまたチョッと飛躍するかこもよ。居酒屋Aの謂わんとするがあるかも知れない… ミチノクくばかりじゃあなあ~

<澄み切った雪木立。夏の緑陰ではこうはいかない>

  冬木立淡いブル-の天(そら)広く光を残して風花流れ

  山鳴りは吹雪の猛りか鎮まらず蔵王連山雪雲の中

  日本海の風雪を受し蔵王山樹氷造りて宮城に下る

  カレンダーの表紙を剥げば寒稽古突きの拳に汗湯気立ちて  

  山肌も枯葉も木立も白銀にセシウム除染に利用できぬか

  新春の夢は世界を駆けめぐる金も力も無いので気楽に

  街灯の灯りに滲む雪影に舞い降りる雪尚降り注ぐ