年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

紫陽花

2012-06-18 | フォトエッセイ&短歌

 梅雨前線が北上し東京管区気象台によって「梅雨入り宣言」が出された。南北に長い日本列島は地勢的にも複雑で梅雨前線が早まったり、遅れたりで「梅雨入り宣言」の機会に苦慮するが、今年はすんなりと梅雨入りが出来た。
 湿度が高く、しとしと雨が降り続き、黴(かび)がつきやすい時期なので「黴雨(ばいう)」とも、梅の実が色づく時期の雨で「梅雨(ばいう)」とも呼ばれる独特の雨である。あまり良いイメージはないが、走りの今は寒からず暑からずで、冷房も暖房もいらない。いわば自然節電の季節で1年中こんなだったら大飯原発の再稼働も棚上げになったのか、などと意外に頑固なドジョウ内閣の原発稼働の変節を憂う。安全神話が崩壊した今日、再稼働するにしても将来的には「減原発からゼロ原発へ」の基本的方向を示すのが最低の責務であろう。
 地方紙の歳時記の写真。人の温もりが消えた原発避難地域の路傍に紫陽花(アジサイ)のライトブルーが揺れている。紫陽花の学名は「水の容器」、梅雨の季節の花で色が変わることから「八仙花(ハッセンカ)」と呼ばている。
紫陽花公園を訪れると多くの日曜画家が絵筆を動かしている。カルチャーセンターの生徒かも知れない。覗き見のエチケットとして「見てもいいですか」なんて言葉を掛けるものなのか、それとも、黙ってそっと覗き見るのがエチケットの本道なのか。
 紫陽花とスケッチブックを往き来する鋭い視線、繊細きわまる絵筆の動き、他者を拒絶する素人芸術家のバリアが伝わって来る。気安く言葉など掛けるべきではないのではないか。つまらない事に悩みながら、何気なく近寄り横目でしっかりと盗み見しながら観賞する。小さな花が一塊になって手鞠のようにふっくらとした盛り上がりが紫陽花のポイントになるのか。
 雨脚に揺れ透明度を増すアジサイ、雄しべ・雌しべが退化し実を結ぶことのない装飾花(ソウショクカ)であるというのも侘びしい。過呼吸、ふらつき歩行、痙攣などを起こす毒性を持つアジサイ、そんな寂寥感や魔性も描き込めたら面白かも知れない。

<土壌が「酸性ならば青、アルカリ性ならば赤」といわれる>

 

  梅雨入りて恋し雨垂れアジサイは小さき口を天に開きて

  雑草が階を縁取る水無月に負けじと紫陽花 群れ伸び上がる

  潤いて肥えたる花序は艶もあり装飾花の虚しさ隠し

  緩やかな絵筆さばきに足止めん 桜貝色にじませて塗る

  信州の真意分からぬ友の絵を今年も義理で眺め来た昨日

  中学の写生大会懐かしく 我が名記せし選抜組に