年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

根津神社・赤鳥居

2008-05-16 | フォトエッセイ&短歌
 チョットしたボタンの掛け違いから思わぬ人生を歩むことになる歴史上の人物がいる。江戸幕府6代将軍:徳川家宣(いえのぶ)もその一人である。甲府藩主:徳川綱重の長男で家柄としては特級だが、綱重19歳の時に身分の低い26歳の女中に生ませた子では家督を継ぐどころか、世間体も悪いと家臣の新見家に預けられ、新見左近と名乗った。
 封建社会の家制度確立の頃だ。彼の人生はこれで決まった!
 ところが綱重に男子が産まれないので、呼び戻されで家督を相続。更には将軍綱吉にも世嗣がないので何と将軍の養子に迎えられ、江戸城西の丸で次期将軍の番を待つ。この時すでに43歳。ようやく綱吉が亡くなり家宣が将軍職についた時は48歳の晩年で在職3年後の1712(正徳2)年、51歳で死去。「正徳の治」といわれる江戸幕府安定期のお殿様も流転の生涯だった。
 根津神社は甲府藩の江戸屋敷でその彼:徳川家宣の生誕の地といわれている。唐門(からもん)は国指定重文、屋根に独特の唐破風があることから呼ばれる。

<神社の正門。唐門、両妻に唐破風:弓を横にしたような形を備えている>

 そんなこんなで、並みの「氏神・根津神社」は5代将軍綱吉のお声掛かりで「世に天下普請」と言われる大リニューアルが行われた。権現造りの本殿・幣殿・拝殿・唐門・透塀・楼門などは未だ現役で国の重要文化財に指定されている。
 ところがルーツが氏神だから、まさに八百万の神々がいるわけで、大変賑やかな境内である。駆け込み稲荷は狛犬の代わりに使い狐が社を守護するという変わり物。何ともロマンチックな乙女稲荷(名前の由来は不明)。

<鮮やかな長~い朱の鳥居をくぐり抜けるといかにも狐にバカされたようで爽やか>

 大消費地である江戸の近郊は、新鮮野菜や穀類の生産地で村々の経済も豊であった。そのために早くから「庚申講」などのコミュニティー活動も行われていたのであろう。区内最古の庚申供養塔(こうしんくようとう)や賽の大神が祀られている。都市化の過程で放り出された庚申塔をコンクリで固めたものだが。
 庚申信仰は庚申の日に夜通し眠らないで天帝や猿田彦を祀って宴会などをする風習。庚申講を3年18回続けた記念に塔を建立することが多い。申は干支で猿、村の名前や庚申講員の氏名を記す。

<「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿の上に青面金剛を彫るのが定番>


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