年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

影法師

2006-12-25 | フォトエッセイ&短歌
冬至が過ぎた。一陽来復で春に向かって一日一日と日が長くなってくる。没落する太陽がこの日を境によみがえって来ることを発見した古代人は平安の近いことを祝い神々に心から感謝した。神話の天の岩戸も冬至過ぎの光の回復物語だろうとも言われている。

しかし「冬至冬中冬始め」(冬の中間点だが本格的な冬はこれからが本番)で「体に融通をきかせる」という意味で「ゆず湯」で暖まる事になる。
白堂翁の墨跡でキリッと冬至の節気でも感じてみようか。冬至(チョっと読めないが、入試には関係無いから心配御無用と教育基本法を改悪した人たちが言っていた)
1、3,5行目は中国なので略。 冬生じて夏枯る / 鹿角落ちる / 雪降りて麦のびる。<雪降りて麦のびるナンテノモ分からんだろうな~。ナニセ讃岐うどんの原料8割以上がオーストラリア産だもの>  山国の虚空日わたる冬至かな (飯田蛇笏)


路の中央にハッシと駆け寄った二人、気持ちのこもったフレンチキスを繰り返して言った。
「このところ会えなくて心配したわよ。どうしたの?元気なのネ」
「ワシはカクシャクだが、あれがよ、ノロウイルスにひっかかって動けんじゃった」
「寂しかったンよ。アタイの気持ち分かってるの…。孤独なヒト様の癒しのお相手してあげなければならないし、アンタの事で気をつかわせないでよ」
「ワシとて同じ、分かっとる。主が下痢だったもんで心細がって抱かれ放しで出られんかった。衣食が良くなった分要求も大きくなっとるから、ワシらの気苦労も絶えんと言うもんじゃ」
「アンタ、咲くこともなく蕾の恋で終わらせてしまうつもり……」
鎖に繋がれた二人はひとときの逢瀬を引き裂かれるように分かれていった。山の端の陽が長く長く影を路面に写し取っている。ワン様にも辛いものがあるのだ!


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