年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

横須賀:猿島

2008-07-06 | フォトエッセイ&短歌
 猿島は、横須賀沖に浮かぶ東京湾唯一の自然島(無人島)で、三笠桟橋から渡船で15分。「猿」の楽園と思われるが、サルはいない。1253(建長5)年、日蓮上人が房州から鎌倉に渡る途中で嵐に遭った時に1匹の白猿が船上に現れ、この島へ導いたという…。
 それにしても、首都を臨む江戸・東京湾の入口に位置する猿島、幕末・明治・大正・昭和と歴史に翻弄されながら、やっと2006(平成18)年「エコミュージアム猿島」に落ち着き戦争遺跡の学習と憩いの島になっている。

<岸壁から東京湾を望遠する。日蓮が避難したという洞窟はこの下の方>

 実は、ぺリーの黒船騒動が起こる6年も前にアメリカ東インド艦隊司令官ビッドルが浦賀に来航し通商を求めている。危機感を抱いた幕府は猿島に砲台(お台場)を築造し外国船の入港を拒否する対策をとっている。(が攻撃の命令が出る事はなかった)
 この幕末の「猿島台場」は明治政府に引き継がれ、ヨーロッパの近代技術にもとづいた洋式砲台による海岸防備計画が進められる。そして、1884(明治17)年「猿島要塞」としてに完成した。この洋式要塞はレンガ建造物(フランス積み様式)が特徴で、レンガのアーチ造りトンネルでは日本で2番目に古く全国4件中の最大規模のものとなっている。

<猿島要塞の司令部に通じるトンネル。苔むす石垣には木漏れ陽が揺れる>

 内部施設の弾薬庫や兵舎の指令部などの小部屋は全て塞がれてしまっているが、幕末から現在に続いているところが貴重である。黒船に腰を抜かす幕府の役人、徴兵制度で掻き集められクワを銃に持ち替えた三男坊、やがて軍人勅諭の天皇の軍隊、空が暗くなるという爆撃機の編隊を迎え撃つ高射砲…それぞれの時代の兵士達がこの「猿島」を通して戦争を見てきたのだ。
  
<地下壕に差し込む陽光と軍靴で摩滅した石段に夏草が厚く茂る>


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