年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

横須賀:三笠

2008-07-01 | フォトエッセイ&短歌
 アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが黒船4隻で横須賀:浦賀沖にあらわれたのは1853(嘉永6)年6月である。鎖国を国是とする幕府にとっては対応策もなくてんやわんや。ペリーが久里浜に上陸する。『陣羽織異国から来て洗い張り ほどいてみれば裏が<浦賀>大変』の大騒動となる。
 横須賀は江戸・東京を守る軍事上の拠点となった。明治以降、大日本帝国海軍の横須賀鎮守府が置かれ、軍都・軍港として近代化の光と影を背負って都市開発されてきた。
 今も「水と光と音」をテーマにした「三笠公園」となっているが、「三笠」を背景に東郷平八郎連合艦隊司令長官の威容など帝国海軍の亡霊は衰えてはいない。

<皇国ノ興廃此ノ一戦ニアリ…、この日露戦争の後、対外侵略は一気に進む>

 1904年2月、日露戦争が始まると「三笠」は連合艦隊旗艦としてと指揮を執りロシアのバルチック艦隊を撃破した。海軍の象徴ともなった「戦艦三笠」のその後の運命は……。
 日露戦争終結直後の1905年9月、弾薬庫の爆発(水兵の火遊びと伝えられる)で沈没してしまうとは。その後、引き上げられ現役に復帰し、第一次世界大戦などに出撃するも戦後はワシントン軍縮条約で廃艦、続く関東大震災で浸水し帝国海軍を除籍させられる。
 なお、ドラマを演じながらも太平洋戦争の敗戦を迎える。ソ連の<解体し破棄しろ>の強要を乗り切ったが、「キャバレー・トーゴー」としてアメリカ軍人の娯楽施設に早変わりするなど波瀾万丈の生涯である。

<日本海海戦:「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」とバルチック艦隊を待ち受けた>

 ポツダム宣言の受諾によって降伏した日本は連合国(アメリカ)の占領下に置かれる。横須賀港はいち早くアメリカ海軍に接収された。日本は1951年のサンフランシスコ平和条約で独立を果たしたが、日米安全保障条約によって横須賀は返還されなかった。
 現在、横須賀には在日米海軍司令部・アメリカ海軍第7艦隊と海上自衛隊の基地が置かれアジア最大の戦略上の拠点となっている。
 朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、新しくはアフガン・イラク戦争の前線基地の役割も果たしている。米軍基地に蹂躙されている「美しい国・日本」である。

<「YOKOSUKA 軍港めぐり」クルージング。第7艦隊の戦艦だが詳細は不明>


最新の画像もっと見る

コメントを投稿