年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

多摩:仙石谷

2009-08-01 | フォトエッセイ&短歌
 小田急線読売ランド駅から町田街道を渡り紫式部の小径などというロマンチックな坂道の右手に日本女子大附属高校を見ながら登る。多摩丘陵の北端でかっては深山を思わせる「山々」であったが、今は格好のベットタウンとして開発が進み緑地保全の対象地となっている。
 フルーツパークを越えると尾根に出る。それを越えると仙石山寿福寺の参道入口になる。眼下には多摩川が横たわりその向こうには首都東京のビル郡が累々と続く。
 寿福寺は鎌倉建長寺の末寺で臨済宗では川崎市内最古の寺である。文字通り山あり谷にありの仙人が隠棲するような郷である。寺伝によれば「この山に仙人道鏡がこもり練行終身をつんだので仙石谷」という。

<黒松の濃い緑の並木に被われる参道。一昔前は「開かずの門」だった山門>

 寿福寺は聖徳太子の建立と伝えれているから古い歴史を持っているのだろう。その後も災火、荒廃、再興を繰り返している。文治年間(1185~90)頼朝の怒りをかった九郎判官義経と武蔵坊弁慶が鎌倉から奥州平泉に逃れる途中、一時この寿福寺に隠れ住んで「大般若経」を書写している。
 義経・弁慶の鐙と袈裟(あぶみ・けさ)が残されている。また本堂裏の五財弁財天の池には「弁慶の隠れ穴」が、仙石の入口には「弁慶渡らずの橋」とか「弁慶の足跡石」などがある。義経ゆかりの地でもある。

<本堂には室町時代の国一禅師坐像(重要歴史記念物)が安置されている>

 『江戸名所図絵』に寿福寺を中心とした「仙谷十景」の景観図がある。江戸名所に取り上げられたという事は鄙のローカルではなかったのかも知れない。現在、開発をまぬがれて所在の判るものは指月橋と光照崖の2景。指月橋と言えば京都:槙尾の西明寺の門前、清滝川に架かる朱色鮮やかな名橋をイメージしたのだろうが… 今は面影もなくコンクリむき出しの粗末な橋である。

<指月橋、月を指す橋。川面に揺らぐ月見をしながら酒を酌みかわしたのか>



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