年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

満鉄旧址-2

2007-06-04 | フォトエッセイ&短歌
你好<ニハオ>東北紀行
 1898年、帝政ロシアは崩壊寸前の清朝に迫って遼東半島の租借権を得て南下政策の拠点にした。今に残るロシア風建物やロシア人街がその遺構である。その後、日露戦争を経て1905年から45年まで日本の直接統治が続いた。その時代の遺構が天を貫くビル街の中で現在もキチンと使われている。宿泊所となったヤマトホテルはもとよりバロック様式の中国銀行大連分行・ゴシック建築の遼寧省貿易庁など日本統治の記念物である。

 日本の満州支配の象徴である南満州鉄道株式会社の本社屋(大連クラシック建築を代表する頑強で壮麗な石像建築)。初代総裁は台湾長官の後藤新平である。明治維新からの対外膨張を国是とした日本の近現代史が蘇って来る。





 市民の足になっている路面電車の敷設もまた当時のもので1世紀も経過した現在日本から出かけていって乗ろうとは何とも複雑思いである。


 大連は広場の街といわれがこの広場は最も美しいといわれるものである。
 ロシア時代は「ニコラヤフ広場」→日本時代は「大広場」→戦後は「中山広場」と広場の名称も変転する。鶏毛鍵(けいもうけん:中国版けまり→大きな羽を足で蹴り回す)に興ずる若者たち。細いジーンズにヘソだしルックは普通のファッションでもある。大連の経済開放政策は一挙に進んでいる。
      


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