年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

隅田川<9>築地本願寺

2009-06-15 | フォトエッセイ&短歌
 国内最大級の魚市場、中央卸売築地市場から新大橋通りを北上すると、地下鉄日比谷線の築地駅がある。本願寺の敷地内にあるので「本願寺前」の副名称を持ち、大谷石を使用しているなどユニークな駅だ。
 大谷石は耐火性にすぐれ、石の重量も軽く、石質が柔らかいので加工が容易である。特段の説明もないが何か根拠があったのだろうか。
 築地は外国人居留地に指定され領事館が並び外交官や宣教師などが住んだというから、その影響で大谷石なども早くから使われていたのかも知れない。アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトによって設計された旧帝国ホテルは有名である。 
   
<地下に降りる駅舎入口を大谷石仕様にして落ち着きを持たせている築地駅>

 寺といえば古木に囲まれた重層な本堂、苔むした山門などをイメージするが、この築地本願寺(浄土真宗)は何とも晴れ晴れとした非日本風である事か。
 関東大震災で崩壊した本堂の再建に古代インド様式(天竺様式)の伽藍を用いたのである。

<異国風な本願寺。背後から雲に乗った孫悟空が出てきそうな華やかな景観>

 元は浅草にあり「江戸浅草御坊」と呼ばれていが、有名な振袖火事(明暦3年)で焼失した。幕府は都市計画をすすめるため旧地への再建を許さなかった。何と下付された替え地は八丁堀の沖合(海上)であった。佃島の門徒が中心になり、海を埋め立てて「築地御坊」と呼ばれる本堂再建がかなったのは延宝七年である。
 境内には間新六の供養塔、酒井抱一の墓、九条武子の歌碑などなど盛りだくさんの足跡を語る遺物がある。
 土生玄碩(はぶげんせき)は眼科医で徳川将軍家奥医師。オランダ商館医シーボルトに切望して散瞳薬の伝授を受け、謝礼として将軍家紋服を贈ったが、これがシーボルト事件で発覚して処罰された。

<土生玄碩は事件に連座。財産没収、終身禁固刑。嘉永元年87歳で没>


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