年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

影向寺

2006-11-08 | フォトエッセイ&短歌
多摩・港北ニュウータウンで開発された多摩丘陵の東南端は幾つかの丘陵支脈をつくって多摩川右岸に向かって消滅する。丘陵支脈の一つが川崎市のほぼ中央にある伊勢山台遺跡(高津区千年)である。
この一郭に影向寺薬師堂(県指定重要文化財)があり、その本尊である薬師如来座像(国指定重要文化財)が安置されている。肉付きのたっぷりした平安時代の古様の特徴を示し古刹の象徴となっている。一見に値する。



最近「川崎の文化財発祥の地」として改めて「郡寺」の切り口から注目されている。奈良時代の律令体制の確立によって、国には国分寺、郡には郡寺が整備された。
周辺の遺跡調査の結果、ここは武蔵国橘樹郡衙(むさしのくにたちばなぐんが)<橘樹郡:現在の川崎市とほぼ同じ範囲の行政区域だがその中枢機関。今流に言えば川崎市役所>の所在地であった事がほぼ判明したのである。正倉(倉庫=納税物を保管:一部は平城京に送られる)の遺構が多数発掘された。

この千年の台地こそ、郡庁・正倉・館と郡寺が一体となって天平文化が咲き競った地である。『青によし奈良の都は咲く花の 薫うがごこく今さかりなり』と謳われた奈良の都の洗練された仏教文化と大型建物群が民衆を驚かせ跪かせ燦然と輝いた事が想像される。


木漏れ日を映す影向石
 近世には眼病治癒の霊石とされ、霊水を眼に浸し治癒を願う人々が絶えなかった という。三重の塔の礎心石である。樹の間隠れの丘陵上にそびえる朱塗りの三重 の塔をイメージして古代川崎の歴史を想うのも楽しいものである。
         南武線 武蔵新城駅下車バス

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