年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

ブルーの少女

2012-08-16 | フォトエッセイ&短歌

 『ヒヤシンス・ブルーの少女』:スーザン・ヴリーランド著(長野きよみ訳)は1999年発表されたアメリカのベストセラー小説である。現代アメリカのある街の数学教師が同僚の美術教師におおやけには出来ず秘かに所有している、フェルメールの「ヒヤシンス・ブルーの少女」の名画を見せる。美術の教師はこんな所にフェルメールの絵があるわけない「贋作だ」と否定するのだが……、実は世界大戦の折りナチストだった数学教師の父親がアムステルダムでユダヤ人狩りをした時にある家庭から盗み出した絵を息子が譲り受け隠し持っていたのだ。
 物語はこの名画を取り巻く歴史とそれにまつわる人々の人生を社会性鋭く過去にさかのぼっていく。そして、1660年代の「ヒヤシンス・ブルーの少女」を描いた画家とモデルの少女にまで辿り着き、ミステリアスな展開は余韻を持って終わる。日本で言えば良質のサスペンス風の社会派タッチの作品で極めて硬質で魅力的である。本の表紙には「真珠の耳飾りの少女」が使われている。
 いつかの日にかフェルメールの絵を見る事があるのかと漠然と思っていたら機会は意外に早く訪れた。上野の東京都美術館で「マウリッツハイル美術館展」が開かれヨハネス・フェルメールの作品が公開される事になった。「真珠の耳飾りの少女」と「ディアナとニンフたち」の二点が展示される。
 酷暑の昼下がり上野の森は干上がり、さしもの桜の老木も悲鳴をあげて葉をよじっている。並ぶこと一時間「真珠の耳飾りの少女」の前に立つ事になるが、立ち止まりは禁止でゆっくり歩む事になる。じっくり観賞が出来ないでご不満の人もいようが、これは思わぬ効果を生み出した。振り返った少女の物問いたげな大きな瞳と去りがたく振り返る視線がぶつかりあうのだ。少女が語りかけようと一瞬、朱き唇を動かしたようにも見える。
 フェルメールブルーと云われる、ターバンのウルトラマリンブルーの青が、う~ん、やはり印象的で、官能的な唇にも想像力をかきたてられます。

<東京都美術館フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」>

 

   振り返る真珠が揺れて反射する光を捉えるフェルメールの筆が

  フェルメールの光と影に魅力ありターバンの青深く沈みて  

  「内緒なの」真珠の乙女は振り返り光りの中へフェードインする

  ターバンのマリンブルーの落ち着きが瞳の輝き引き立たせしか  

  フェルメールの光と影の息遣い17世紀のオランダの彩り