年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

一億総特攻

2012-08-02 | フォトエッセイ&短歌

 江戸幕府の法令に『生類憐みの令』という「生類万般を大切にしなさい」という趣旨の法令が発布された。しかし、この法令はエスカレートし「下水を道路に打つとボウフラを踏み殺すから撒水を禁止する」という莫迦らしいものになっていった。それが正しい事であれ社会的な常識の範囲で運用しないと人間の命を貶める事になる。
 戦後、動物を愛護しようと『動物虐待法』が参院法制局で議題になったのは1951年、宮城タマヨ先生の絶大な尽力があったからだという。タマヨ代議士(56歳)は1947年の第1回参議院選挙全国区で戦後女性初の当選を果たした一人で後に緑風会に所属し女傑振りを発揮した。
 タマヨ先生のスゲ~ところは、この間まで大東亜戦争の八紘一宇を信奉し、本土決戦を主張していたことである。米軍に竹槍で一億総特攻隊で突っ込むのが皇国臣民の不朽の道であると、究極の人間虐殺を主張していたのである。大日本帝国の神国不敗の神話を信じ「本土決戦」「一億総特攻隊」を絶叫していた戦争大好き人間が動物愛護を主張したのが面白い。
 大本営も二の足を踏むような好戦プロパガンダを展開したのが婦人雑誌『主婦之友』であるが、各ページの上欄には「アメリカ人をぶち殺せ」「米鬼を一匹も生かすな!」「寝た間も忘れるな米鬼必殺!」凄まじい殺人フレーズが記されていたのだ。
 真珠湾奇襲攻撃に成功し浮かれていた時期ならともかく大都市は大空襲で焼け野原になって敗戦濃厚な原爆投下目前の日まで『主婦之友』は「本土決戦」「一億総特攻隊」を大和なでしこに厳命していたのである。『主婦之友』の印刷所が空襲で焼失すると静岡新聞社に応援を頼んで7月号(特集:勝利の特攻生活)を発行している。「皇国と共に苦難を突破して」「勝ち抜く壕生活」「焦土菜園の手引き」と本土決戦の戦意は些かも衰えず。
 そして宮城タマヨ先生もペンを銃にして「敵の本土上陸と婦人の覚悟」を執筆している<本土決戦は、地の利からも、兵員の上からも、我が方は決して不利ではありません。… 一億一人残らず忠誠の結晶となり、男女混成の総特攻隊となって敢闘するならば、皇国の必勝は決して疑ひありません。大義に徹すれば火の中、弾の中をもものともせぬ献身の徳は、肇国以来の日本婦道でございます> 8月には原爆に見舞われ、忠誠の結晶がならない間に皇国は敗れ去った。
 人間虐待の先頭に立って、女達の母達のオッカア達を突撃させたタマヨ先生は恥じることも反省する(事もなかったのであろうか)。う~む、人間は特攻隊で死すとも動物の生命は守られねばならん。動物虐待法で挽回したつもりかもしれんな~。

<タマヨ先生。また、日本の一番長いあの八月が訪れました>

  夏休み声も姿も影もなし遊び奉行は人材不足

  坪庭は水撒き遅れ白々とミミズ黒く干上がりて 

  ジリジリと葉月の光いや増して敗戦告げる慟哭と笑い

  八月は特別の月と暦見る酷暑の中の敗戦記念日

  うざったい猛暑の空のヘリコプター「水とりなさい」伝え飛び去る