8月9日、長崎に原爆が投下され7万4千人がその年に亡くなった。その被爆から67年経った今年の「長崎・原爆の日」は新たな高まりと緊迫感を持って迎えられた。福島第一原発事故と長崎の原爆が結びついて、放射能に脅かされる恐怖と理不尽さが訴えられた。ノーモア長崎・ノーモア福島・ノーモア広島!田上長崎市長は、福島の人に「放射能の不安に怯える日々に心を痛めている。長崎市民は寄り添い応援し続ける」と誓った。
長崎を焼き尽くした原爆は広島のウラン型ではなくプルトニウム型で、約1キロのプルトニウムを爆発させたものだという。常石神大教授は云う。現在、日本の原子力発電は使用済み核燃料として長崎原爆5000発分のプルトニウムを所有しているが一体どうするのだと危機感を述べている。
しかも、原子力発電所から出続ける「核のゴミ」と云われる放射性廃棄物を処理する技術も貯蔵する場所も限界になっているのである。原爆も原発も被曝の恐ろしさは同じであり、爆発後の破壊された環境が回復するのは2世代3世代と永い長い年月を必要とする。
どちらも人間が創り出した科学の産物である以上、使用をやめて破棄する事もその気になれば出来るのである。今度の福島の原発事故は安全性どころか末代に禍根を残す危険この上ない殺戮兵器であることをはからずも知らしめた。被爆国の政府として原発再稼働には特段の慎重さが求められる。
原発ゼロと核兵器廃絶は人類の共通の課題として改めて提起されなければならない。取り敢えずノラリクラリ、クネクネと再稼働を黙認し原発許容ににじり寄るドジョウ内閣にはSTOPのレッドカードで退場してもらう事だ。
<夕暮れに影を落とす永田町の国会議事堂>
潮見坂歩み登れば塔頂が権威を肩に威し聳ゆる
霧雨に議事堂けむりはかなげに霞が関の水無月尽きる
今日もまた三党合意で審議なし議場閉鎖で政策もなく
原発に消費増税通過させ裏切り続ける内閣の野田
閉塞の時代を撃ちし啄木が生きししあれば何を詠うか