年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

隅田川<18>華中央大橋

2009-10-05 | フォトエッセイ&短歌
 石川島公園から対岸の新川に通じる隅田川にかかる橋が中央大橋(ちゅうおうおおはし)である。隅田川の橋の中で最も意匠を凝らした美しい橋として、下流に見える無粋な佃大橋と比較されながら愛でられている。とりわけ白色の水銀灯と暖色系のカクテル光でライトアップさるれ橋夜景は近未来を映す見事なものである。
 バブル経済期の設計施行で機能性や経済性を前提としない、贅沢な都市景観を大胆にデザインにした架橋になっている。隅田川はセーヌ川と1989年に友好河川を提携していた関係からフランスのデザイン会社に設計を依頼したのだという。雄渾にして華麗なるウォーターフロントを映し出しているのが中央大橋である。

<主塔および欄干部分に日本の「兜」を意識した特徴的な意匠が見られる>

 中央大橋を渡って1キロ半、八重洲通りを進むと東京駅八重洲口であるが、左折すると亀島川に架かる南高橋に出る。南高橋に立つと「江戸が水の都」といわれるのも納得出来る。運河(入り掘・掘留)が縦横に走り、河岸(かし=荷揚げ場)や物揚場(ものあげば=武家専用の荷揚げ)が江戸市中に張り巡らされている。
 水運都市・江戸。そのために河口の橋は中央部を高くして舟運を優先させるのである。橋桁を高くした太鼓橋は美を競ったわけでも画家の誇張でもない。そのためには渡る側には大きな障害となった。
中央部までの登りはには「押し役」が、中央部からの下りには「ブレーキ役」が必要となる難関となったのである。従って高橋(たかばし)はあちこちにあったのであるが、再建、高橋は太鼓部分が削られているが…。

<亀島川に架かる南高橋。鋼鉄トラス橋としては全国で6番目に古い橋梁>

 文化財指定の南高橋(みなみたかばし)を渡り鐵砲洲通りを進むと鐵砲洲稲荷神社に出る。
 「鐵砲洲」とは穏やかではないが、隅田川に流れ出る河口に細長い洲(島)ができてそれが鉄砲の形をしていたという事か。
 いずれにしても「湊神社」ともいわれていたように江戸湊にあった神社だが、江戸湊は埋立・拡張で海岸線が常に沖に向かって移動する。その度に何度も「引越を余儀なくされる」という面白い神様である。
 大坂や西国の船はここ鐵砲洲に入港して、小舟を使って物資を江戸市中に運び込む重要な港であった。江戸の発展と共に米塩酒薪炭などの消費物資が増大し鐵砲洲は活況を呈した。

<鐵砲洲生成太神の名は船乗人の海上守護神として江戸の海の安全を見守る>