年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

隅田川<17>石川島幻影

2009-10-01 | フォトエッセイ&短歌
 日本帝国海軍の軍事力を支え日本経済の動脈となった京浜臨海工業地帯の一翼を担った石川島。第二次世界大戦の勃発の年(1939年)には造船部門が豊洲に移転、石川島での造船事業は終わり、重機械類の専門工場として稼働してた。
 戦後、臨海部の埋め立てが進み都心に組み込まれ公害が問題になるころには機械工場も移転され東京再開発の一大プロジェクト「東京のウォーターフロント開発」が進んだ。

<石川島からリバーサイド越しに佃大橋を望む。佃の渡しの面影はどこに…>

 石川島に出現した大川端リバーシティ21。東京における超高層住宅(三井不動産の分譲マンションは54階建)の先駆けとなった開発である。近未来的な超高層住宅の林立する再開発を眺めることができる.
 しかし、石川島という歴史的地名は「佃」に合併され消失してしまった。今は隅田川の川面を映す小さな公園名にその痕跡を留めるばかりである。歴史的地名の保存は出来ないものなのか。

<初秋の隅田川の川面の銀鱗を背に石川島公園の標、彼岸花が一本ゆらりと>

 隅田川を下って来るとこの石川島にぶつかり二手に別れ、左側が晴海運河、右側が隅田川本流となる。そこからの大川端リバーシティ21の眺めこそ『東京一美しい超高層住宅街』という人も多い。実は浮世絵の富嶽三十六景の葛飾北斎も、ここの眺めが江戸で一番素晴らしいと言っていたとか。
              

<摩天楼として聳えるは54階建。最上階からの眺望を想像する事は出来ない>