年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

イーハトーブ・遠野

2008-11-25 | フォトエッセイ&短歌
 「遠野物語」の岩手県遠野市を訪れた。河童、山姥、座敷童、神隠し等の怪異の物語など遠い山里の生活と風物に魅せられる。物語の内容は各地方とも酷似しているらしい。遠野のが土俗性があって魅力的だというが、その辺りの事は素人には分からない。
 天候に恵まれて文句をいう筋合いはないのだが、雰囲気が全くない。河童淵も山姥も水車小屋も晴天の秋空、陽が燦々と輝き河童の出る気配もなし。雨に煙らないとロケーションにもならない。

<河童が馬を川に引きずり込もうとして失敗。清水が流れ河童の姿は見えない>

 遠野市「伝承園」の曲がり屋は茅葺き屋根の葺き替え作業中だった。今では民家園にでも行かないと見る事はない懐かしい風景である。ガキの頃の葺き替え仕事を手伝わされた頃を思い出す。3,4人の葺替職人が仕事を進めるのだが、その勢子(手足となる人夫)がその3倍は必要である。そこで「村の隣組」を利用した総出の共同作業となる。材料の萱の確保もあったのか、古くなった順に屋根の吹き替えをしていくのだ。
 囲炉裏の煙で煤だらけ、大人も子供もジジイもババアも全身真っ黒けになっての大騒動だが、炊き出しの銀シャリと歯の白さが印象に残っている。ユイという名のコンミューンだったのかナ~。

<竹槍の先に縄を挟み、内部の勢子と行ったり来たりさせて萱を縛る上げる>

 東北一帯に「オシラサマ」という民間信仰がある。オシラサマは農業の神、馬の神、蚕の神、目の神と欲張っているが、その成立の物語が何とも奇怪である。
 『その昔、ある百姓の美しき娘が飼馬と仲が良くなり、夜になれば厩に行きて供に寝る、つひには馬と夫婦になれり。怒った娘の父親が桑の木に馬を吊り下げて殺したり。娘はすがりついて泣いたト。父親は激怒して馬の首をはねたり。すかさず娘は馬の首に飛び乗り、そのまま天空へ昇り、おしら様になったんだト』
 神体は、桑の木で作った1尺程度の棒の先に男女の顔を書いたものに、布で作った衣を着せたものだ。「命日(めいにち)」には新しい衣を重ね着させるのだという。「伝承園」のオシラサマは、御蚕神堂(おしらどう)と呼ばれる一室に千体ものおしら様が祀られている。壮観である。

<ご神体のオシラサマは桑木で男女の顔を彫り、衣で貫頭型・包頭型に飾る>