年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

秩父・伝蔵の街

2008-11-21 | フォトエッセイ&短歌
 明治政府の専制と失政を批判し、貧民の救済を訴えておこした日本近代史上最大の農民蜂起、秩父事件は上州・信州の村々でも武装蜂起が準備されていた。政府はこれを西南の役に準ずる「戦争」として扱い、戦況などを大政大臣から天皇にも報告した。官側の戦死者(警官)には立派な忠魂碑が建立された。『秩父暴動史』には彼等を、「愛機諸共、敵艦目がけて突入自爆して、之を轟沈撃破する荒鷲勇士」にたとえ、大々的に賛美し、教師が生徒を引率してこの碑を参拝させたという。戦前の記録であるが、暴動側の扱いは押して知るべし!

<映画「草の乱」のオープンセット。障子が開いて伝蔵がひょっこり登場しそう>

 困民党の真実が明らかにされ、名誉の一端が回復するのには1世紀がかかった。そして蜂起で発揮された民衆の楽天性や高揚したエネルギー、より良い社会と未来をめざした志をテーマに映画「草の乱」が制作される。
 音楽寺からかけ下り荒川を渡河し大宮郷(秩父市)に攻め入る群衆の蜂起場面は圧巻である。監督は神山征二郎。生糸商家“丸井”を営む井上伝蔵は村民の窮状に心を痛め困民党を指導する中心人物の一人になる。その井上伝蔵(緒形直人)を中心に描いたドキュメンタリータッチのヒューマン・ドラマ。

<丸井は井上伝蔵が営む生糸商の屋号。セットを保存した資料館になっている>

 井上伝蔵は事件壊滅後、逃亡。その手配書は「一、年齢三十二三・顔長く白き方・男振は美なる方・丈高き方・歯並揃ひたる方・鼻高き方」と記しているが、北海度に潜伏し33年間のあいだ身分を偽り生きていた。1918年、腎臓を悪くした伝蔵はいよいよ自分の最期を悟り、妻と長男に自分の本当の素性を語り、その後十日ほどで息を引き取った。
 『濁りなき御代にはあれど今年より 八年之後はいとゞ寿むべし』、国会開設を期待した詩といわれている。

<椋神社の事件百年の碑。自由と民主主義が重きをなす今日、その源流を…>