年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

秩父・寺社の街

2008-11-05 | フォトエッセイ&短歌
 秩父は神社の街道でもあり、かっては経済的にも豊かな村落であった事を物語っている。秩父神社と椋神社、三峯神社に宝登山神社などは観光スポット。その「祭祀」(祭り)も伝承と絢爛を今に伝えているので、古い古~い歴史があのだが。
 秩父神社が神社として神道の格式が整うのは最近のことで、それまでは「妙見菩薩」という菩薩が祀られ「秩父大宮妙見様」として人気があったというからおもしろい。
 明治新政府が天皇の神格化権威確立のためにとった神仏分離令の政策によって仏様の要素が排斥されて生まれたのである。神仏習合、まさにヤヲヨロヅの神仏の合体は日本の永い宗教的伝統であったのだ。現在の「社殿」は家康の命による」妙見宮の再建。奥行きある荘厳なたたずまは権現造りである。

<権現造り:拝殿と後部の本殿の間を「石の間(いしのま)」で繋ぐ建築様式>

 夜祭りの謂われも、武甲山の男神(蔵王権現)と母巣の森の女神(妙見菩薩)が1年に1度の逢瀬を楽しむ祭りともいわれて、微笑ましいかぎりだ。この時期「六日市」が開かれ、生糸・絹の取引で景気がはじける山深い山村の感謝と喜びの祝いであったのだろうか。
 屋台・笠鉾が曳かれるようになったのは寛文(4代将軍・家綱)年間ごろと伝えられている。
   
<秩父夜祭の幻想的な音と映像を演出する子持ち尺玉花火と屋台。夜祭会館>

 秩父神社とともに「延喜式神明帳」に載る椋神社。日本武尊東征の折り、椋の大樹の下から猿田彦命(さるたひこ)が現れて進軍のガイドをした。そこで鉾を御神体として猿田彦命を祀ったとされる、最もポピュラーな謂われでもある。
 椋神社の「龍勢祭り」の伝承神話は独特。長さ70cmほどの松材をくり抜いた火薬筒を、20mの竹竿に装着した「ロケット花火の化け物」のような物を30発も打ち上げる。まさに天空に昇る龍である。10月第2日曜日が例大祭で境内は準備で慌ただしかった。
   
<秩父市下吉田の街道は「龍勢祭り」の幟で華やいでいる。龍、天空を駈ける>