年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

秩父・巡礼の街

2008-11-09 | フォトエッセイ&短歌
 秩父と言えば「巡礼の里」、観世音菩薩(観音)を祀った寺を順番にお参りする信仰で江戸時代に隆盛を極めた。「札所」の名のとおり、願い事を込めた「木札」をお堂に打ちつけ、巡礼の証とした。
 実際に法雲寺には、室町時代に打ち付けられた穴のある最古の札が保存されている。また百ヶ所巡礼の記録も残っている(西国札所33ヶ所・坂東札所33ヶ所・秩父札所33ヶ所、百観音霊場とするため秩父を34ヶ所とした)。こんな時代にも全国ネットワークが確立していたのだ~。
 因みに観世音菩薩(如来が変身)の「観世音」とは世音(人々の声)を観ずる(見る・聞く)意味あいで人々の願いや思い、苦しみなどを引き受け人々を救う如来様のこと。

<秩父市内を一望できる絶景の場所にある23番(音楽寺)の鐘は松風の音>

 札所23番・音楽寺の名の由来は、札所を開いた十三人の聖者がこの山の松風の音を菩薩の音楽と聞いたからと言われている。ために、音楽関係者のお参りが絶えないそうだ。
 音楽寺裏手の尾根に登ると風の音に合わせて竹林の語らい、ススキのささやき、松柏の演説なとが渾然と謡うように流れている。
 原始時代史の定説を引っ繰りかえした驚愕の「秩父原人」の発見はこの尾根の先である。「原人まんじゅう」「原人笠」と街は沸き立ったが「神の手は嘘の手」と偽装が判明、夢は幻の如くに消え去った。人間共のやることは……地蔵は笑っている。

<諦観した十三聖人が微笑みを宿して俗世人間共の煩悩を聞いている>

 尾根から吹き下ろす涼しげな風が里の稲穂を吹き抜ける。長かった農作業の成果を刈り取る収穫の秋である。年老いた農婦が一人カケボシ(掛け干す)をやっている。「腰が曲がると、カケボシは大変じゃ」
 今年は豊作で米が余るという。それでもアメリカからどっさり米を輸入する。カビの生えた米を輸入する。その工業用糊の原料にするはずの毒米を給食の「おまんま」にして子ども達に食わせたという。未だに原因も責任も不明だ!

<カケボシは稲の「天日干し」。コンバインなんぞの銀シャリとは比較にならん>