年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

鬼の行方へ

2007-02-03 | フォトエッセイ&短歌
節分の豆まき。今は昔、一般家庭でのあたりまえの情景であった。卯の刻を迎え 薄闇が漂う頃、「福ワ~内~、鬼ワ~外~」の声が各家から響き渡ったものである。子供達は神妙に大豆をまき、歳の数だけ豆を食って無病息災を願ったものだ。
最後の「鬼は外!」のタイミングが難しく、鬼は外!と鋭く豆を退散する鬼にぶつけると間髪を入れず雨戸をピッシャリと閉ざすのである。もたついていると鬼が舞い戻って居付いてしまうというのである。暗くなった部屋の静寂の中でジッと耳を澄まし、鬼の気配をを探ったものである。
奇怪な赤鬼青鬼を払う悪霊ばらい節分は何かオドロオドロしい雰囲気を感じさせた。イワシの頭を焦がしてヒイラギ(柊)の枝に突き刺し、雨戸・玄関・窓など外の世界と通じるあらゆる戸口に差してあるのも臨場感たっぷりであった。
豆鉄砲で撃退された奇怪な鬼共は一体どこに行ったのだろうか、長い間の不思議であったが、「鬼は内!」という地方や「全国から閉め出された鬼を迎える」(群馬県鬼石町)寺院や土地があることを知ってヤレヤレです。

しかし、今時の節分会は華やかなものです。コンサートや芸能人の豆まき、福引き付きの色豆など楽しいイベントである。鎌倉の長谷寺でも特設ステージに高砂親方が登場、特賞は液晶テレビだ。残念、テレビは遙か前方に落下の模様。

節分は「季節を分ける」事を意味している。つまり<立春・立夏・立秋・立冬>の前日のことで理屈的には4回あるが、1年の始めという事で春の節分が行事化したとか。
   
<青みを帯びた白梅が凛々しい。親方、もう少し気合い入れて遠くにも!>